メッセージは流れる。文化・常識の壁を超えて …

コミュニケーションが成立するためには、送り手と、受け手の間で、メッセージの解釈を同じようにする必要があります。メッセージの解釈は、それぞれの人の文化・常識を反映してなされます。このため、文化・常識を異にする人の間のコミュニケーションに際しては、送り手が意図した解釈を受け手がしてくれるかどうかわかりません。

人は、意外と、自分の環境が一般的であると考えがちです。この考え方は、時に、インターネット上のコミュニケーションで問題を起こすことがあります。

コンピュータが反応しなくなりました。どうすればよいでしょうか?

こんな質問をネットの掲示板で見掛けた時、どう答えたら良いでしょうか。

多分、多くの人が、インターネットエクスプローラ (MSIE) を MS Windows 上で動かしているでしょう。だから、「Ctrl キーと Alt キーと Delete キーを、同時に押せば良いよ!」これが多分、正解です。だけど、中にはマッキントッシュで掲示板を読んでいる人もいるし、UNIX (最近流行りの Linux とか) を使っている人もいるでしょう。

そういう世界で、「世の中 Windows が常識なの!」等と言い張ると、マックな人は「これだから貧乏人は嫌だね」と言うし、UNIX 使いは「素人さんは困るねえ」等と言い始め、知りたい情報が得られないまま、喧嘩をして終ってしまいます。

文化・常識を共にする人々の集まりを一つの社会と考えると、ネットの上には、文化・常識を異にする、いくつもの社会が共存しています。

文化を異にする人々との間では、コミュニケーションは難しいのでしょうか?

いきなり大きな話に振ると、{異文化コミュニケーション}は、今日の社会の大きな問題です。イスラム文化圏とキリスト教文化圏の間にある根強い不信感は、両者の間のコミュニケーションがうまくいっていないことが一つの原因でしょう。世代間のコミュニケーションギャップというのも、世代間の文化・常識の違いが原因の一つであると考えられます。

モノの本によれば、異文化間のコミュニケーションをうまく行なうためには、「普遍的コミュニケーション」を行なう必要があるとされています。ここで、「普遍的」というのは、「特定の文化・常識を前提としない、人類だれでもが共有する価値観・知識に立脚した」といった意味です。

当たり前といえば当たり前の話ですね。

さて、先ほどのコンピュータのリセット方法に関する質問の場合は、

MS WIndows 2000/Professional を使用中に、コンピュータが反応しなくなりました。どうすればよいでしょうか?

といった聞き方をすれば良いのです。そうすれば、この質問を読んだ人がマックの達人であろうとも、UNIX ヲタクであろうとも、正しく質問の意味を解すことができるのです。

「普遍的」という概念に関しては、もう少し考えてみましょう。


12/5追記

こんなニュースがありました。なんか、壮大過ぎて、荒唐無稽のような気もするが ...

引用文献は、「意識を持つ機械」の話題そのものですね。

お約束の「普遍性」に関しては、もう少しお待ち下さい。