哲学、自然哲学、自然科学、現象学、、、自然現象学?

この日記で私が展開しようとしている議論の立脚点は、漫画は科学的にはインクのシミとしか言いようがないけど、そこに人々は物語を見出すし、その物語こそに漫画の価値があるってとこなんですね。

自然科学が教えることは、尊重しますけど、それ以外の価値も認めようじゃないか、人と社会を考えるときは、自然科学的実在以外の、漫画で言えば、物語の部分が大事なんじゃないでしょうか、ってのが、基本です。

だけど、漫画を書く上で、紙とインクも必須です。メディアはメッセージを規定する、そういうマクルーハン的観点も忘れちゃいけません。

人の心を考えるとき、伝統的な哲学は、自分自身の心の中を内省し、いろいろな結論を見出します。自然科学の力を積極的に借りようとする、この日記の趣旨においては、人の心を大脳生理学や人工知能の観点からも考察しようと言うアプローチも採り得ます。

人の意識は、ニューラルネットの中の電気的パルスの伝達のなせる業である、ってことですね。

更に言えば、人のニューラルネットは、遺伝と学習によって形成されたものであり、他者とのコミュニケーションによって、人々の意識そのものも形作られているんですね。互いにコミュニケーションする人々を『社会』と呼ぶとき、社会も意識を持ち、知識を持つと(人のそれらとはちょっと違いますけど)いえそうです。それが、文化であり、常識であり、社会の規範となるんだろう、と私は考えているんです。

人のニューラルネットは有限です。したがって、絶対的な真実に到達することはあり得ません。伝統的な哲学や自然哲学は、本質を追求することを目的としましたが、その企ては、所詮無理な話です。これに対して、フッサールらの始めた現象学は、物事の本質ではなく、その現れを考えようとします。

現在の自然科学は、自然界を支配する法則を見出そうとしていますが、その法則が絶対的なものではなく、自然現象をよりシンプルに記述するものに過ぎないと、当の科学者自身が考えています。

自然現象学なんて言葉を使わなくても、自然科学は、元々現象学的アプローチを採っているんですねえ。

ふーむ、私のアプローチも、それほど異端ではありませんね。