ポパーの反証可能性

ポパーの反証可能性って、二通りに表現されます。

一つは、ある説が、情報を含んでいること、つまり、どのような結果になってもあたり、というような説は、意味を持ちません。

第二に、その説がもしも正しくない場合に、その説を否定する現象が観測される可能性が準備されていることです。

アインシュタインの相対性原理の場合、太陽の重力による光の曲がりが観測されるはず、ってのが、相対性原理を否定する現象の観測可能性にあたります。つまり、日食の時に星の位置を測定すれば、光が太陽の付近で曲がって伝わるのか、まっすぐに伝わっているか、判断できるからです。

その説が否定される可能性がある、ってことは、その説は「仮説」だということですね。ポパーの言葉を私なりに変形すると、科学の理論は、これまでに観測された現象を、シンプルに記述する仮説であって、未だ観測されていない現象を予測するモノでなければならない、ということができるだろう、と私は考えています。「絶対にこれが正しい」と断言できることは、実は、科学的じゃないんですね。

「原子力発電は絶対に安全である」という宣伝が、過去に何度も行なわれました。私はそれを見て、「なんて危ないんだろう」と思ったものです。「絶対安全」なんて、全然、科学的ではありません。未知の危険を認識して、常に仮説の検証を怠らない、これが、正しい、科学的な態度です。そうしたプロセスを抑圧した状態で高いエネルギーを扱う、これほど危ないことはありません。絶対安全の建前上、欠陥が見付かっても、隠しちゃったりするんですね。

そんなことを思い出したのは、安全神話という悪魔が、シャトル開発に携わる科学者達に、魔の手を伸ばしていたんじゃないだろうか、今回のスペースシャトル事故のニュースを聞いて、ふと、そんなことを考えたからです。犠牲者のご冥福をお祈りします。