「社会」これも一つの知性体、なんですね

さて、下世話な話題が続きましたけど、総集編の続きとまいりましょう。

#142で、個人が考えるという行為も、他者とのかかわりの中でなされるんだ、という議論をしました。今度は逆に、人間社会のほうに目を転じて、社会が考えているんだ、という視点で考えてみましょう。

この日記の始めのほうで、「意識する社会」という議論をしましたけど、人間の社会、みればみるほど、ヒトの脳とよく似ているんですねえ。脳細胞の数は140億個と言われてますけど、世界の人口もそんなもの、ニューロンは8千ほどの、他のニューロンとの接続部を持つんですけど、一人の人が情報をやり取りしている相手も、そんな数でしょう。

あ、おれ、そんなに知り合いいないよ、なんて言わないでね。ニューロンの接合部(シナプス)、情報を受けるだけのものも多いんです。だから、本を読めば、その著者とつながってしまうし、テレビタレントともつながってしまう。これを読んでいるアナタ、しっかり私とつながっているんですねえ。

さて、ニューロンは、シナプスを通して他のニューロンと、互いに電気パルスをやり取りすることで知的活動を続けます。人間社会も、さまざまなコミュニケーションチャンネルを通して、情報をやり取りしています。その活動、これもやはり、知的活動というしかない。

ま、三人寄れば文殊の知恵、とはよく言ったものです。一人で考えるより、大勢で考えたほうが、まともな知恵が出る。学術社会は、その代表的なもので、大勢の学者が議論して、正しそうな「定説」を固めてます。これほど「知的」ではないところでも、やはり、知的な活動が行われています。国会だってそうだし、小は、家族旅行の行き先をどこにするかという議論だって、、、

そうやって社会が獲得した知識が、「常識」とか「文化」と呼ばれるものなんでしょう。と、ここまでは良いのですが、ヒトの知的活動と、社会の知的活動、当然のことながら、ずいぶんと違う側面もあります。

うーん、これは長くなりそう、、、つづく、ということにしておきましょう。

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