共産主義について(左翼チックに迫ってみよう)

前回のクイズの答え1、の様子です。民主党の新聞広告には、しっかり、スペリングが書いてあった。さすがインテリ政党。でも、今の公約、積荷目録の方がしっくりするような気がするんですけど、、、

で、共産党宣言という言葉に触発されて、共産主義について、考えてしまいました。こんな大きなテーマ、短い日記で書ききれるものでもありませんけど、この日記のテーマに近い部分について、今日は書いてみたいと思います。

共産主義の創始者マルクスの初期の著作「経済学・哲学草稿」は、共産主義思想の出発点といえると思いますが、その中で彼は、「疎外」という言葉を多用します。何から疎外されるかというと「類性(類的本質とも)」。この二つの言葉を中心に、マルクスの思想を解き明かしてみましょう。(もちろん、彼の思想はそれ以外にも沢山あるのですが、今回、省略ということで、、、)

まず、「疎外」ですけど、辞書を見ると、よそよそしい、なんて意味も見られますけど、マルクスの意味では人間性を失ってしまう、という意味なんですね。マルクスは、市場経済によって、労働者は、類性から疎外されるといいます。類性は、人間が本来的に持っている性質で、「人間性」と書きゃ良いんですけど、「人間性」なんて、ブルジョア・ヒューマニズムの手垢の付いた言葉、そんな言葉を、マルクスは、使いたくなかったんでしょうね。

市場経済において、労働者は、より多く生産することによって、自分の価値を下げてしまうと同時に、他の労働者を迫害してしまう。農業では、豊作貧乏、なんて言葉がありますけど、工場の仕事でも、よく働けば、従業員は少なくて済む、失業者が増えて、給料が低下します。これは、当人の自然な感情にも反するし、同僚との連帯を損ねてしまうんですね。

じゃあどうするか。共産主義の主張は、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」で、それを可能にするのが、生産機能の国有化と、党中央からの統制ですね。労働者の連帯と、階級闘争、というおなじみのやり方もそこに至る道なんですね。

これ、理屈の上では、もっともな話なんですけど、人間の本来的性質には、楽をしたい、なんて怠け心があります。この心を党中央の人たちが抑え切れないと、官僚制の弊害が蔓延します。更に、下部の組織の自治よりも、中央統制を優先し、批判は抑制される、結局の所、市場経済よりも、更に酷い、類性からの疎外状況が生まれてしまいます。これが、ほとんど「必然」だということを、本家、ソヴィエト連邦が教えてくれました。えらいぞ、ソ連、歴史的必然性を、、、ぼかっ、ばきっ、、、

怠け心という、人間の悪しき性質を抑制するためには、競争原理は保つ必要がある。しかし、それを社会のあらゆる部分に広げるのではなく、社会の小さな単位では、人間が本来持っている欲求も満足されるようにする、こんな仕組みが、人間性を確保する上で必要なんでしょうね。

「疎外」という言葉、最近、事件を起こした少女の口からも語られました。これ、生き生きとした人間関係を失って、孤独である、という意味でしょう。まさか、マルクスを意識したものではないと思いますけど、相通ずるモノはあります。

今日一般的に言われている「疎外」という言葉、抽象社会で要求される匿名的関係により失われるアイデンティティ、都市化に伴うコミュニティ喪失、都市的病理現象や、そこに住む人たちの孤独感、等など、要は、この日記に書いてきた、ポパーやワースの言葉に対応しているのですね。

抽象社会で希薄化する人間関係と、コミュニティの崩壊は、子どもたちを直撃します。これを何とかするためにまず重要なことは、教育。つまらぬ対立をしているときではありません。