中国での寸劇騒動に思う

こういう事件が起こると、馬鹿な日本人とか、馬鹿な中国人とか、そういう簡単な原因を見つけたがる人がいるんですけど、こんな考え、百害あって一利なし。すっきりとして気持ちがいいかもしれませんけど、毒はじわっと効いてくる。

まず、レッテル張りはいけません。本質を見失ってしまう。

ニュースを聞く限り、この寸劇を演じた人たち、全然悪気がありません。それどころか、日中友好をテーマにして、サービス精神旺盛にやっちゃったんですね。

同じ日本人として、こいつらを断罪したいのは、その、お粗末さ加減。この連中がやったことは、日本のテレビで当たり前のように放映されているバラエティーの一場面なんですねえ。ちょっと前なら、笑う犬とか、、、

それが上質の表現だと思ったことが、こいつらの悲劇。これらのバラエティー、実のところ、最低の作品なんですねえ。それを中国人たちのまともな芸と並べられちゃあ、馬鹿にしている、と観客が怒り出すのも無理はない。

まあ、大騒動になった背景に、中国人の劣等コンプレックスがあったことは確かでしょう。日本という国、辺境の小国のくせに、えばり散らしている、とか、、、しかし、戦後日本の経済成長と、戦時中の陸軍を同列に扱って欲しくはない。戦後の成長、飢餓の中、必死にがんばった先人たちがいたわけで、今の中国も目指すところは同じです。これを批判される、いわれはない。

しかし問題は現在の姿、現在の日本の精神的状況です。これ、むちゃくちゃ。テレビのバラエティー、見たこと、ありますか? これを学問的に分析すれば、現在の日本が抱えている、問題も浮かび上がってくるというものです。ま、ちょっと、やってみるのも面白い。

まず、そこにあるのは、異様な緊張感。これ、視聴率的見地から考えると、チャンネルを回されないため。そこに見出されるのは、出演者の緊迫した状況なんだけど、スポーツの、健全な緊張感とは、ちょっと違う。身体的な危険、とか、仲間はずれの恐怖、なんてのが平然と提示されます。その危険が、現実のものとなる事故も、いくつか起こってます。タレント、命がけです。タレントには無害な、どっちの料理ショーにしたところで、飢え、とか、仲間はずれ、なんていう恐怖が意識されているんですね。

でも、タレント以上に問題なのは、視聴者に対する精神的な効果。こんな番組を見た人、特に若者は、どのような考えを身に付けるのでしょうか。

仲間はずれに対する恐怖。とりあえず、体制に従っておけばよい、なんてことを考えますよね。適応こそすべて、ってわけです。それが大きな問題であることは、過去の日記で指摘してきました。

それから、バラエティーの多くは、絶対権力者がいるんですね。これがまた、批判的に扱われるのではなく、番組を仕切っちゃう。で、その仕切り方、人権無視も当たり前、やりたい放題、、、それが許されるというような風潮が広がる、これは、恐ろしいものがあります。

「特異交友理論」ってご存知ですか? まあ、「朱に交われば赤くなる」なんてのと同じで、人は、周囲の環境によって善悪を判断する、ってことですね。だから、非行少年の仲間は、非行が悪いことだなんて思わない。バラエティー番組を見て育った人たちの善悪の判断、ちょっと怖いものがあります。

もう一つ問題になったのが、性的表現、裸をさらす本人の羞恥心は、本人の問題だけど、さらされた場は社会的な存在。同好の士が集う、閉じた場でなら構わない。しかし、開かれた場では、それ相応のマナーが必要なんですね。

日本のテレビでバラエティーを見続けた若者、何事もお構いなしに、これが芸だ、と思ってしまったんじゃないでしょうかね。で、それをやっちゃった、と。日本の文化、学芸の奥深さを考えたとき、なんて、情けない話なんでしょうね。

日本のバラエティー、というか、それ風の芸が、真に世界に通用する普遍的な価値を持っているなら、中国人たちも絶賛したんでしょうけど、ま、当然のことながら、唾棄すべき存在、それを知らない留学生と教師が、己の身の上に、無知の償いを受けた、ってわけですね。

ひどい話だ。悪いのは、テレビ局!!

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