二種類の社会と二種類のコミュニケーション

小さな社会はコミュニティでありえるけれど、大きな社会は抽象社会になる、ということを昨日の日記に書きました。コミュニティ、そこでは、個々の参加者が独特の役割を果たすことが期待される、つまり、社会が個人を認識しているんですね。だから、個人的事情に配慮される。しかし、大きな社会ではそんなことを言っていられない。一律の基準で物事が進む。個人の事情に配慮されない、ってのは悲しいことかもしれませんけど、逆に言えば、誰にでも均等に機会が提供されるということで、喜ばしい話です。

で、この二つの社会、そこで行われるコミュニケーションにも微妙な差が生じるのですね。

コミュニティでは、個人の感情にも配慮されるのだけど、抽象社会では、これは逆効果、むしろ論理性が重んじられます。大きな社会を感情で動かすことが危険なことであることは、歴史が証明しています。これは、国家の場合でも、企業の場合でもいえること、個人の生活でも、投資や家計の運営といった、経済に関わる所では、あまり、一時の感情のままに動いてしまうと、後で後悔することになりかねません。

感情が伝わりやすいコミュニケーション手段は即時性、論理が伝わりやすいコミュニケーション手段は記録性、という違いがあります。

例えば、対面しての会話、瞬時に話が伝わり、反応が返ってきます。この場合は、言葉のトーンや身振り手振りや顔の表情も、感情を伝えるでしょう。一方、印刷された言葉は、論理を伝えるのに適したコミュニケーション手段でして、書いているときも推敲するし、読み手も、わからなければ読み直す、なんて形で、作者、読者双方に、充分な考える時間を与えます。また、読者が読み返したり、保存したりすることを考えると、書き手としても、あまり、一時的感情に左右された文章は書きにくい。

面白いのは、ネット。これ、瞬時に伝わるし、記録も残る。だから、どう使うかは、使う人の意識次第なんですね。

ただ、その場その場で、微妙な差はある。楽天の日記は、一旦書いた日記を書き直すことができます。だから、感情的な表現も、ある程度やっても平気、って面があります。一方、ヤフーの掲示板、一旦書いてしまうと、修正が効かない。だから、書き込むときは、ちょっと考えてしまいます。まあ、どちらかというと、論理性が出てくる抽象的表現となるんでしょうね。

ま、ぜんぜんそんな感じじゃないメッセージも、ヤフーのボードには満ち溢れているのだが、、、