仮想社会におけるアイデンティティとパーソナリティ

論文の表題みたいな題を掲げましたけど、昨日の話、そんな結論に導けそう。

人がアイデンティティを獲得するには、コミュニティへの参加が大きな役割を果たします。人はコミュニティに参加することで、そこから何かを得ると同時に、役割を果たし、その人の存在を、他人が認め、他人の目を通して、自分自身でも自己の存在を自覚するんですね。

都市的人間関係も、役割を果たす。だけど、その役割、その人である必要、ないんですね。例えば、マクドのバイト、そこでの働きは、お客のためにも、会社のためにもなっている。でも、それ、単にマニュアルどおりに動いているだけで、バイトの個性、出てこない。

さて、そこで問題の仮想社会。ネットワークの上に、現実とは異なる社会関係を作る、なんてのが、だいぶ前に話題になっていましたし、ネットを介してのゲームも続々登場。これも、新しい人間関係を作るんじゃないか、なんていう人もいましたけど、結局の所、それは、設定された役割で、その人固有の存在感には繋がりにくいはず。あまり大きな期待を持たず、ゲームの世界と割り切ることが大事でしょうね。

本来の自分とは違う、自分の社会的役割、他人が認め、自分がそうであろうとする自分、これが、パーソナリティでして、まあ、ネットや都市での人間関係の基本になります。

では、本当の自分を他人に認めてもらう、本当の自分を他人が認めていると自覚できる、アイデンティティの確立は、はたして、ネットや都市では、ありえないのでしょうか?

過去の社会学者の書いたものを読むと、そりゃ無理、という結論に至ってしまいそうですが、AであるからBではない、という命題は、一般的には真であるとはいえません。つまり、都市的人間関係が、パーソナリティを通じて結びついているとしても、では、アイデンティティを認め合うことがありえないのか、といえば、そうではない。パーソナリティを介しての人間関係のある場で、アイデンティティが確立したって悪くない。

例えば、マクドのバイトにしたところで、マニュアルが基本ではあるのでしょうけど、それぞれの人の性格や特技、個々に認識することだってあるはずです。ネットの書き込みにしても、それが真面目なものならば、個性が出てくるはずですね。

村落が消えて人々が都市的な生活を送るのは、必然的な流れ、元に戻ることはありえません。ネットを通しての人々の関係も、これからますます広がるはず。

ならば、そんな社会の中でも、より、自然な人と人との関係を目指して欲しいし、そのような関係を通じて、自分の個性を自覚し、それを他人のために役立てていく、そうして、多くの人がアイデンティティを確立すること、そんな道を見付けたいものですね。