何かを変えると、何かが変わる

ふらりと富士山に登ってきた少年の記事を見て、そんなことを考えました。

少し前の日記に書いた酒場の話、家出してきた女の子は、人生リセットしちゃいました。別の酒場に転がり込んできた、自転車日本一周に挫折した青年、結局、最後は家に帰ったんですけど、彼の中で、きっと何かが変わっているでしょう。

そういえば、私も今年、勤め先を変えたんだ。あはは。確かに凄い変化でした。ただ、これはリセットじゃない。こんなこともあろうかと、準備もしてました。これで若けりゃ、ゼロからやるのも悪くはないけど、私はそれほど若くないし、、、

で、この、変える、ってことですが、ある枠の中で、ヒトは思考し、行動します。思考の対象範囲にも、考え方というか方法論にも、一定の枠があります。まあ、枠がなければ、考え、まとまるもんじゃないんですけど、イロイロと考えて、イロイロやってみて、どうにもうまくいかないときは、枠そのものを見直す、ということを考えるべきなんですね。

最初は少し変えてみる、何か、新しいことを始めるとかね。それでも駄目なら、また別のことを、今度はもう少し本格的にやってみる。最後の手段はリセット、生活の中心を変えてしまう。

な~んてことを、今朝は5時から書いていたんですけど、ついついテレビに見とれて、遅くなってしまいました。

番組は、大分の自然に魅せられて移り住んだというカナダ人の英語の先生の話。カナダだって自然は豊かだろうと思うけど、画面で紹介された大分の自然、異様に橋脚の長い古い石橋とか、山間に広がる田んぼや、道端の大きな滝とか、相当に草臥れた民家などなど、確かに大したものです。でも多分、このヒトも、何かを変えたくて、やって来たんじゃないかな、なんて、ふと、、、

で、このお話のテーマは、この先生が宇佐神宮のおみこしを担ぐんですね。宇佐、ねえ、、、USAじゃん、なんて話はどうでもよいのですが、最後に出てきた地元の人の言うことを聞いて、なるほどと思いました。宇佐神宮は神仏混淆が始まったところで、神も仏も一緒という考えが世界に広まればよいと思う、ってわけで、カナダ人の先生を、おみこしの担ぎ手に歓迎するんですねえ。

うん、うん、日本の神社も日本人の思想も、捨てたものじゃない。ありゃ、また話が飛んでしまった、、、