自然科学で語れば漫画は紙とインク、でも違うよね

先日の日記で、今日の自然科学はヒトの心をニューロンの情報処理と考え、超自然的な、タマシイとかココロなどの存在を否定していると書いたのですが、これは、物理的な作用を及ぼす存在としてのタマシイやココロの話、つまり、超自然的物体の存在は、さしあたり、前提としなくても良いということ、なのですが、でも、自然科学が全てかと言われれば、そんなことはない。

科学的に分析をすれば、漫画は紙の上のインクに過ぎない。そこに描かれた豊かなストーリー、自然科学のチカラでは、読み解くことは出来ないのですね。

でも、たいていの人は、漫画を読めばそこに、ストーリーを見出す、漫画のストーリー、作者の権利、法律でも認められているし、経済的な取引の対象にもなっているんですね。つまり、作者にお金を払う、と、、、

と、イウコトハ、ほとんどのヒトは、物理的な存在以外の価値も認めている、それが、実は、紙とインクであるということは百も承知で、なお、その上に描かれた物語の価値を、紙やインクの価値とは別に認めている。

日本の漫画が世界中で読まれている、トイウコトハ、その物語、普遍性がある。その物語の価値も、文化、国家、宗教を問わず、多くのヒトが認めている。つまりその物語の存在、物理的な実体を持つものと同じように、認められているのですね。

実に、命やココロの価値も、似たようなもの。インクや紙は細胞などなど、その上に構成された思いや意思、精神、ココロ、愛や悲しみ、怒り、、、これらと漫画のストーリー、ほとんど同じモノなんですね。

だから、超自然的なタマシイの存在が否定されても、悲しむことは何もない、漫画を読んで、そこに、インクしかないことを理解してもなお、インクのしみを越えた意味、漫画のストーリーが見出せるなら、アナタも多分、救われる。自分の棲む世界に、自然科学で語り尽くせぬ世界もある。

それがわかっていれば、この世界、実のところ、捨てたものでもないのですね。みんなはそこに、自然科学と矛盾しない価値の世界を見ているわけだ。実に、命や心の棲む世界、漫画のストーリーと同じ世界にいるのですねえ。

で、こいつが取るに足らない世界なのか? といえば、そんなことはない。そもそも、自然科学そのものにしても、ストーリーの世界なんですね。つまり、インクのしみで表現される世界。

ヒトの認識と切り離された、真に物理的な世界とは、それを記述する者はなく、価値を感じる者もない、言うなれば、混沌の世界、なんですね。つまり、自然科学も存在しない。

インクがなければ漫画が書けないのは事実。自然科学を無視しちゃいけない。だけど我々の興味の中心、物理、というよりは、物語、の世界だったのですね。