国歌、国旗、愛国心、、、道徳教育のあり方に関する私見

昨日の日記で言及した道徳教育について、もう少し議論しておきましょう。

私の考えを簡単にまとめると、押し付けは駄目、だけど、国旗、国歌は尊重すべき、です。

米国サンディエゴのダウンタウンの近くに、バルボアパークという大きな公園があります。これ、昔万博をやった跡地で、広い敷地にいくつもの博物館が点在しているのですね。MINGEIなんて博物館もありましたね。民芸、そのままアメリカで通じるのでしょうか。野外音楽堂にはパイプオルガンがあって、毎週日曜日には演奏会が催されています。

これ、私も何度か聴きましたけど、最後の曲目、アメリカの国歌、なんですね。聴衆はみんな、帽子をとり、起立します。もちろん私も起立するのですね。

これ、別に米国に忠誠を誓うわけではないし、米国に対する愛国心とも関係ない。要は、礼儀、なんですね。その場所にいる多くの人たちが敬意を払うモノに、敬意を払う、

これは、まともなヒトのとるべき道。卒業式の国歌斉唱も、起立しないのはおかしい。同様に敬意を払うべき対象、宗教施設やお墓、国旗や、精神的指導者などもそうです。それがたとえ自分に関係のないものであっても、誰かが尊重するなら、それなりに扱うべき。

道徳教育の本来の姿は、他者との精神的な関り方を教えることが基本のはずで、このような人間のとるべき道、当然行うべき行為や示すべき態度を教えなくちゃいけない。

でも、君が代を歌うときに起立したからといって、それが愛国心の表れでもなんでもない。特に、上からの命令でやらされているとしたら、こんな行為、愛国心とは無縁です。罰則が怖いからやっている、なんてのは、最低ですね。日本、そこまで落ちゃあいない。

自分の頭で考え、確かに日本は誇れる国であると思うから、愛国心が芽生えるのであって、無理やりある形をとらせることで芽生えるものではないのですね。

愛国心といえば、強い軍隊を作るためには欠かせないのですけど、以前の日記で議論したように、兵士の責任を考えると、兵士も自分の頭で考えて行動しなくちゃいけない。洗脳は論外だし、何も考えずに命令に従うようではいけない。

そうなると、愛国心教育、学生に考える力をつけさせることと切り離すことが出来ない。その考える過程で、日本という国のあり方について考えなくちゃいけない。そしてそれが、守るべきもの、誇れるものであると、生徒一人一人が実感しなくちゃいけない。

今の愛国心教育に押し付け的印象が強いのは、この過程が抜けているからでしょう。万一、不幸にして、いくら考えても、日本、誇れる国ではない、そんなことでは、愛国心を持てという方が土台無理。思想信条の自由は基本的人権、それを操ることが出来るのは、独裁国歌だけ、今の日本ではちょっと無理なんですね。

結局の所、国民が愛国心を持つかどうかの鍵は、日本の指導的立場にある人の力、それがしっかりしていること、他に恥じることがない、そこから始めなくてはいけません。

ちょうど、企業で言う愛社精神、ですね。これも、立派な経営者があってこそ生まれるもの、社歌を唄い社旗を拝ませた所で、ヒトの心は、そうそう、動かせるものではないのですね。