神さま、それほど奇抜な概念でもありません

宗教は地域性といいますか、民族固有のモノがありまして、国が違うと、信じる神が違うのですね。だからややこしい問題になる。

でも、ほとんどの民族が、何らかの形で、神と関わっているのですね。信仰心が薄いといわれている日本人にしたところで、初詣はするし、身内のものが亡くなればお坊さんを呼んでお経を上げてもらう。それにかなりのお金を使っているわけでして、コレは、単なる体裁やレジャーの一種ではないはず。何かの効果を期待しているヒトも多いのでしょう。

日本人の宗教心に対する海外の批判は、立場が不鮮明なことかもしれません。ショー・ユア・フラッグみたいなものですね。でも、日本の伝統は神仏混淆、神社も仏式を取り入れていたのですね。それが分かれたのは明治になってから、でも、日光東照宮だけは、かなり混ざっている。さすがにココだけは、廃仏毀釈、恐ろしかったのでしょう。

仏教の拝むもの、それはホトケ様、かつて存在したヒトなんですね。だから葬式を仏式でやるのは、まことに正しい考え方です。で、仏教にも神様は出てくるのですが、それは、仏を助ける存在。なんとも健全な姿じゃありませんか。

神道は自然を拝むのが基本。大自然への畏敬、感動が神道の元にあるのでしょう。だから、巨木、巨石、太陽、山、その他モロモロの自然界の事物がご神体になる。で、もう一つはヒト、考えてみると、人間も自然界の驚嘆すべき存在なのですね。

キリスト教は、神を拝むのが基本です。でも、マリア像に祈りを捧げたり、諸聖人の名を冠した教会に祈りを捧げたりするのですね。そもそもバチカンのサンピエトロ寺院にしたところで、聖パオロの墓の上にできた教会、各地の教会が大切にする聖遺物、大体が誰かのヒトに関わるものです。骨、とかね。

で、これほどに共通する宗教の姿、ヒトの本質に関わる可能性、大なんですね。

まず、ヒトは大自然の雄大さに心をうたれることがある。コレは自然な感情の発露なんですね。それから、すばらしいことをしたヒト達を敬う心、コレも自然なことでしょう。

困ったとき、苦しいときに、救いを求める。これ、近くのヒトに無心したりすることもあるかもしれないけど、これは難しい。でも、経済的な支援以上に、精神的な支えも大事。それなら、心の中で、頼るヒト、モノ、あるいは神に祈っても悪いことじゃない。多分その人の心の中で、祈る相手が応えるのでしょう。「大丈夫だよ」とかね。ま、この効果、物理的にはないかもしれませんけど、精神的には大きい。こういう逃げの一手、持っているヒトと持っていないヒトの差は、大きいと思いますよ。ま、そこに付け込む営利的(?)宗教団体、コレはちょっと許せないのですけどね。

結局のところ、ヒトは何らかの形で神と関わっている、この事実は否定できない、でも、その神、さまざまな宗教団体の神とは、微妙に違う様子、それは、人々がいい加減だからじゃなくて、宗教団体のあり方の問題、つまり、あらゆる人々に受け入れられる、神との関係のあり方を提示していないのですね。

ならば私がやってみようかな、な~んてね。コレじゃあ、教祖じゃないですか。私はそんな道は追求しませんからご安心くださいね。

人々と神との関係、日本人は、実にうまくやっている、ま、付かず離れずの関係といいますか、、、日本人の宗教観、もっと自信を持ったら良いと思うのですがね。