ここらで、私の「神」についても語っておきましょう

以下は私の考えでして、定説、であるとは主張しません。コレを読んだ方が、自分の頭で考えていただければ幸いです。

まず、自然科学が対象とする世界に神様はいません。

しかし、ヒトの住む世界、というか、ヒトの関心の対象は自然科学が対象とする世界だけではない。これは、漫画の例で、理解していただけるでしょう。自然科学的に言えば、漫画は紙の上のインクのしみなのですからね。だれも、インクのしみを楽しんでいるわけではない。そこに書かれた物語なり、キャラクターなり、ギャグなりを楽しんでいるのですね。

生命も、複雑な化学反応であり、イノチ、という物理的実態があるわけではない。これも、漫画で言えば、物語の部分の話。

ココロも、複雑に絡み合った脳細胞(ニューロン)の中を流れるインパルスの仕業、物理的な作用を及ぼす霊魂があるわけではない。でも、ヒトはココロを実感しています。自分のココロや、他人のココロをね。コレも、漫画で言えば、ストーリーの世界にあるわけですね。

で、神様は、となると、残念ながら、自然界に物理的作用を及ぼす神は存在しない。なぜそんなことがいえるかといえば、コレまで行われた自然科学で検出されていないから。もちろん、だから存在しない、と言い切ることは出来ないのですが、少なくとも、神は、さほど頻繁かつ大規模に自然界に作用を及ぼしてはいない。だから、さしあたり、自然界に作用を及ぼす神は存在しないと考えるのが妥当です。その考えを覆すような事実が発見されたら、そのときに考えを改めても遅くはない。

しかし、人々が自然界に神を見出すのもまた事実。漫画で言えば、物語の世界にね。だから、漫画の物語が存在するのと同様に、神も存在するとしか言いようがない。

実の所、自然科学そのものも、ストーリーの世界にあるのでして、自然科学が自然界に存在するわけじゃない。物理学の本や論文、紙の上のインクのしみなのですね。自然科学的には、漫画の本と変わりない。で、そこに学問的知識という物語がある。

イノチやココロは、複雑な化学変化やニューラルネットの信号伝達のなせる業で、そこに超自然的なモノが隠れているわけではない、といっても、ヒトはイノチやココロが存在するものとして世界を認識しているし、社会的にもイノチやココロの存在を前提としているのですね。

たとえば法律には、生命、なんて言葉が出てくる。漫画のストーリも著作権法は保護します。そういえば、自然科学の領域である医学や心理学も、イノチやココロを扱っていますね。

だから、物理的な作用を及ぼす神秘的な作用の源泉としてのイノチやココロを否定しても、そういった概念が意味のないものではない。それどころか、非常に重要なんですね。私たち、物理学者じゃなくて、社会の一員であるヒトとして考えたり、議論してるのですから、、、私は、神の存在のあり方を、そのようなイノチやココロと同列に位置づけたいと思います。

もちろん、神のあり方は、人それぞれ、民族にもよれば国、地方によっても違います。同じ場所でも、信仰する宗派が異なれば、信じる神も変わってしまう。イノチやココロに対する認識が、人々の間でさほど違わないのに対し、神に対する認識、随分と違うのですね。これは、その人の属する世界に宗教的組織が深く根を張っているということもあるでしょう。神のあり方、組織特有の物語の影響を強く受けた形になっているはずです。

では、神はどこかの宗教団体が勝手に生み出したものか、といえばそうでもない。でも、大抵の社会は、何らかの形で神の存在を検知しているのですね。古代の社会、大抵の社会に宗教がありました。現在も宗教、信じるヒトがきわめて多い。神を信じるのはヒトの本質に近い、といっても差し支えはないでしょう。

そのような、神のパターンにはいくつかあるように思います。一つは人知を超える雄大な自然の姿に、畏敬し、そこに神を見出すというパターン、もう一つは、この世のもろもろのものの作者として、神を前提とするパターン、もう一つは、自らの心の中で対話する相手としての神、夢枕に立つ、なんてのもこのパターン。

このような神との付き合い方、さほど悪いことだとも思えないのですね。第一のパターンは、神と呼んでも大自然と呼んでも構いません。感動は大事。第二のパターンは、作者を想定した所で悪くはない。特に、謎を解く力にもなるでしょう。第三のパターンだって、それをなんと呼ぶかは別として、様々な視点に立って考えるのは有意義なこと。その中でも、大局的な見地での考えを「神の視点」だと思うだけの話なのですね。この神様、特に困ったときには、大いに役に立つのですね。ま、気休め、かもしれないけど、、、