牙剥く知性と微笑む知性

竹林の七賢人とか、人里はなれたところで思索にふける、なんてパターンが昔からありまして、現在でも、象牙の塔、とか、まあ、世間と一線を画すというのが知的活動の一つのあり方。

もちろんこれは間違ってはいない。雑音、考え事の邪魔になりますからね。でもこれが、社会と思想の関わりの基本になってしまうと、何のための思索か、ということになる。

前にもちょっと書きましたけど、ポストモダンの思想家、斜に社会を見る傾向が強い。世界は混乱に向かうというようなことを、ワインを傾けながら語り合う、そりゃあ、うらやましい生活かもしれないけど、それどこじゃないのが現実。ネットを取り巻く現在の状況、人間関係のあり方、相当に危機的状況なんですね。

正月で多少時間がありましたので、レヴィ・ストロースの悲しき熱帯を読み返しています。よく読むと、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの、いわゆる後進地帯、昔は小規模な農業に基づく豊かな生活があったのですね。

で、先進国が出てきて、植民地化したところで、一気に貧しくなっちゃった。農業を支える環境が破壊され、都市化、スラム化が進み、貧しい人々を奴隷状態にする収奪が始まってしまった。インディオを絶滅させた天然痘も、入植者が意図的に流行らせたらしい。

ありゃりゃ、コレって、他人事じゃないかもしれない、、、ネット、確かに便利になったけど、その一方ではスラムもあればウイルスもある。自分の道具を自分で作れるような、独立した人たち、随分と少なくなりました。少なくとも、ネットが始まった頃は、ほとんどのヒトがそれ、できたのですね。

ネットの世界、「インターネットアボリジニ」という言葉を私の論文に引用しました。今日のインターネットを築いた人たち、言ってみれば計算機オタク、技術に詳しい、自給自足のできる人たちだったのですね。でも、このフィールド、お金が儲かりそうと、どっと押し寄せた企業家たち、その作戦が見事成功して、だんだん技術の見えない世界になってきたのですね。

もちろん、素人でも使える技術、というのは良いのですが、仕掛けが見えなくなる、囲い込みが進む、コレは問題。素朴な農業で生活していた原住民、大規模なプランテーションに追われてしまうのですね。

ヒトと自然の関わりも、かつては仕掛けが見えていました。ニュートン物理学やユークリッド幾何学、ちょっと勉強すれば理解できる。でも、相対性理論に量子力学、リーマン幾何学、どれほどのヒトが理解しているでしょうか。

現代の知性、専門家を信用するしかない、下手をすれば奴隷状態に置かれてしまう。ネットの世界も、だんだんとわかりにくい世界になってきているのですね。少なくとも技術的には、企業に握られつつあるのですね。

一方、その場での人々の関係、コレには、企業は腰が引けている。だけど、この部分で、大きな問題が起こっているのですね。

今のネット、子供が子供を殺す原因となり、集団自殺を募る場ともなっている。怪しげなメッセージが飛び交い、人迷惑な広告(しかも怪しげな)で満ち溢れている。

そんな世紀末の混乱した状況、横目に微笑む知性であってはならないと思うのですね。知性も時には牙を剥く、そんなあり方を志向したいと、(はた迷惑かもしれないが)ま、そんなことを、おとそ片手につらつらと、年の初めに考えたりしているのでした。

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