いわゆる“ニート”の問題について

先日、飲み会の会場に少々早く着き過ぎまして、時間を潰そうと、近くのゲーセンに入りました。で、少々異常な雰囲気に驚いたのですね。若い男が黙々とゲームをやっている。通路に立って、他人のゲーム画面を黙々と見つめている男も数名います。時間はまだ夕刻、勤務時間を過ぎたばかりですから、平日の昼間に近い。ははあ、これがいわゆるニートの人たち、かなあ、などと考えていたのですね。

職業に就かない若者が増えている、という問題は、最近の日経新聞も連日取り上げていました。フリーターは仕事をしているから良いのですが、求めても仕事に就けな失業者が一つの問題、で、更に問題なのが、失業者にさえなれない若者が多い、ということ、なのだそうです。

まあ、新聞の論評というものは、評論家的。評論家が書いているのですから当然ですが、問題点を問題であると紹介する、で海外の例を紹介し、わが国は遅れているというパターン。なんとも歯がゆい話です。この問題、実は大問題で、人口減の日本で若者が職に付かない、こんな現象の常態化は国家存亡の危機である、といっても言い過ぎではないのですね。

で、なぜこんなことになるのか、一言で言えば、マネージメントが判っていない人が多すぎるから。そんな人が組織を管理すると、国家も、役所も、学校も、企業も商店も、みんな駄目になります。

そこで、マネージメントの本質を押え、ニート問題(?)解決の道を考えてみましょう。

マネージメントは経営学という学問の対象なのですが、経営学は一種の社会学でして、社会学の中でも「システム論」をベースとしている、そういう風に私は考えております。

システム論というのは、社会の中の様々な要素をブラックボックスとして扱いまして、ブラックボックスの入力と出力が相互に結びついて構成される社会なり組織なりを望ましい状態に持っていく方策を、ブラックボックスの応答を研究することで探ろうと、まあ、そんなアプローチであると、私は考えております。

もちろんこの望ましい状態、というのは、社会にとって望ましい状態ではなく、これを研究し、方策を探るものにとって望ましい状態という意味です。

だから、たとえばマーケティングであれば、ブラックボックスである消費者の反応を研究し、それにどのようなインプットを与えれば製品が売れて、利益が最大になるかを探る、政治家であれば、有権者というブラックボックスが、どうすれば自分に投票するか、経営者であれば、社員にどのようなインプットを与えれば企業が儲かるか、まあ、そのようなことを、それぞれの立場で研究するわけです。

で、その時大事なことは、マネージメントする立場にあるものにとって、マネージメントの対象は、インプットとアウトプットがあるブラックボックスだと、その点を忘れちゃいけないのですね。極端に言えば、心を持つ人間だと思っちゃいけない。

だから、いくら精神論を訓示した所で、べき論を述べたところで仕方ない。何を言ってもあいつは言うことを聞かない、というせりふでは、マネージャ失格。相手が望ましい動きをするようにインプットを与えなくちゃいけない、そのために、対象となるブラックボックスの反応を研究しなくちゃいけないのですね。

だから、ニートの若者に対して、やる気がないからだ、なんて言ってみたところで意味はない。どうすればやる気を出すのか、そこの所を考えなくちゃいけないのですね。

新聞の評論家の主張、カウンセラーを配置して、全ての卒業生の職業指導に当たる、たとえばそんな事を書いているのですが、的外れ。カウンセラーへの責任転嫁です。

そもそも、この手の指導がきちんと出来る人、どれほどいるのでしょうか。元来、この手の役割、学校に期待されていたはず。それが出来ないから問題になっているわけで、適任者がそうそういるとも思えません。

一方でニートの状況に目を転ずれば、事態はさほど悲観的であるようにも思えないのですね。あのゲーセンにたむろしていた若者たち、当然のことなのですが、ゲームをやっていた。情報機器を、結構器用に、使いこなしているのですね。

おまけにミッションを達成している。もちろんゲームの世界なのですが、それは、さほど簡単なものでもないはず。簡単じゃあ、ゲームにならない。

だから、何らかの仕掛けさえ作れば、こういった人たちを現実世界でも役に立つ、職業の世界に誘導し、困難な問題を解決してもらうこともできるはずなのですね。

その仕掛け、決め手はコレ、なんてことは、簡単にはいえないのですが、ヒントは既にゲーセンにある。面白い仕事を提示すればよいのでしょうし、社会に役立つ仕事がさくさくできるような教育システムを考えれば良い。

何の役にも立たない知識を丸暗記させる教育よりも、それぞれの興味に応じて、ある生徒にはプログラムの組み方を教え、他には、機械設計の技法を、またある者には電気回路を教えれば良い。もちろん、技術系だけじゃなくて、トレーディングを教えても良いし、漫画やアニメーションを作るのも立派な教育。

もちろん教育ですから、単に技術を教えるだけじゃなくて、その基本知識も必要です。

でも、面白いものが自ら出来るならば、基本知識の習得も楽しいもの。無味乾燥な授業を続けるよりは、学校の雰囲気も随分と創造的になると思いますよ。

もちろん、そういう人たちを使う側にも、従業員にやりがいを与えるべきで、人材を使い捨てるような人事制度は、なるべく、抑制すべきではないか、長い目で見れば、そうすることによって、日本の産業も経済も発展するはずです。

ま、そうは申しましても、今の世の中、そうはなっていない。ニートをやっている方がもしもコレをお読みでしたら、自らの力で、自らの得意技を見つけて磨き上げる必要があります。でも、何が得意かわからない。だから、いろいろなことにチャレンジして、駄目なら別の道を探すしかありません。

人間誰しも得意技があるもの。それに気付いていないだけ。だから、いろいろやっていれば、そのうち何か見付かるのではないかと思いますよ。

何かを変えれば何かが変わる、この当たり前のコトバ、人生にだって言えるはず。個人のレベルでのチャレンジの機会も、満更ないわけではないのですね。

とはいえ、社会問題になっているなら、社会の側で手を打つべきである、これが喫緊の課題であることもまた事実。なにしろ、こんなこと書いたぐらいで全国のニートの若者たちが何かを始めてくれるなんて、さほど期待できませんからね。