ネギま!の哲学、続きです

先々週に続いて、ネギま!の哲学を続けます。

2週間ほど前、著作権にちょっと触れたのですが、これ「無体物に対する所有権」です。

無体物」というのは「有体物」の反対の概念でして、有体物というのは、普通の物で、形があり、重さがあり、手に取ることができて、それを渡すことで取引が成立する、まあ、そういう普通のものです。ネギま!のコミック11巻も、それ自体は有体物です。

で、無体物、というのはその中に書かれた絵、キャラクタ、せりふ、物語などなどで、コミック本を買ったからといって、内容に関する権利まで手に入るわけではありません。

こういった作品を利用する権利、つまり、複製・配布する権利は作者が持ち続けます。コミックを読む、鑑賞するといった行為は、利用ではなく、使用と言われておりまして、こちらの権利は、コミック本を買うと、自動的に手に入れることができます。

音楽の世界では、ファイル共有ソフトが問題になってますけど、あれは、複製配布を勝手にやってしまっているからです。アニメやコミックの世界でも、画像を勝手にブログに載せたりすると、問題になるかもしれません。ま、ばれれば、の話ですが、、、

で、ネギま!に関する議論、大抵の場合、無体物の部分で議論が発展いたします。つまり、筋やキャラクタ設定の部分に読者の興味は集中するのですね。

ま、有体物の部分でも、私としては色々思うことがあるのですが、、、たとえば、コミック版、小さい文字が読み難い。もう少し大きな文字で書いてくれると有難い、とか、マガジンの紙質、もう少しよくなりませんかねえ。できればカラーで、とかね。

ともあれ、有体物無体物とでは、同じコミック本を前にしても、全然違う世界でして、かたやキャラクタとかストーリー展開とかを注目するのに対して、かたやインクや紙質が議論される。もちろん、インクや紙がなければ漫画は成り立たないし、品質が悪くては、漫画を読んでいても楽しくないかもしれません。あまりにもひどければね。

で、この二つの全く異なった世界、実は、漫画の世界だけではないのですね。

最近、分子生物学や大脳生理学の進歩が著しく、遺伝子配列や、脳の機能が次々と解明されてきています。生命や人の精神、以前は、超自然的な何かの働きであると考えられていたのですが、今日の科学ではその全てが化学反応であると考えられています。ただし、恐ろしく複雑な化学反応でして、その全貌が解明されるまでには、まだまだ時間が掛かりそうですが。

それにしても、人間も機械と同様、単なる自然現象であったとなると、人の価値はどこに行ってしまうのでしょうか。前回ご紹介した、米国での進化論反対の動き、その裏に、科学万能の世界は人の価値を失う、との懸念があるのかも知れません。

でも、自然科学による人間の解明、漫画での紙やインクの研究と同じことでして、つまりは有体物の部分での研究なのですね。漫画同様、人の生きる本当の意味は、無体物、つまり、そのキャラクタやストーリーの部分にあるはずなのですね。

もちろん、有体物の部分に価値のある方も大勢おられます。つまり、肉体的魅力、という奴でして、まあ、私などから見ると、羨ましい限りなんですが、、、

それに、有体物の部分、漫画における紙やインクと同様、なくちゃ人生、成り立たない。身体が健全であること、それは人生にも必要なことでして、死んだら物語も終わりです。

でも、それはそれ、これはこれ、の関係です。この社会、もう少し、無体物の部分に目を向けたらよいのではないかと思うのですね。多分、神の概念もそこにあるはず。少なくとも、有体物の世界に属する進化論、否定してみても始まらないと思うのですね。


しかしこれちょっとまずいですね。講談社も、赤松先生も、怒らなくちゃ。つまり、この下のほうに見えている水着少女の絵、マガジンのちょっと前のグラビアの絵、なんですね。しかし、何ゆえに胸を隠したブツの部分がなくなっているのだろうか、、、

そういえば、ネギまカレンダーなどといって、こんな奴、売られてた。これもちょっと問題ですねえ、、、いずれにせよ、SPAMははた迷惑ですから、取り締るネタがあるなら、大いに取り締ってくださいね。