マジックメモに関する奇妙な議論

このところ、閑をみてはデリダの「エクリチュールと差異」を読んでいるのですが、「VII フロイトとエクリチュールの舞台」、なんか面白い。

まあ、一人で面白がっていてもいけませんので、ちょっと解説しておきましょう。

まず、エクリチュールですが、gooの国語辞書によれば、エクリチュール 4 [(フランス) ecriture] : 書くこと。広義では、線・文字・図を書くこと、狭義では書かれたもの(特に文字言語)をさす。フランスの哲学者デリダにより、西欧の音声(ロゴス)中心主義を批判するのに用いられた語。という意味でして、「文字」とか「書字」とか「書字行為」などと訳されていますが、カタカナでそのまま書く場合が多い。

ここでデリダの言いたいことは、人の精神的活動は、瞬時に消えうせる音声的行為ではなく、痕跡が残る書字行為に相当する、ということで、フロイトの仕事もそれを裏付けているのだ、というのがこの節の議論になるわけです。

そこで、跡が残る精神活動に類似した存在として登場するのが「マジックメモ」なんですね。

この「マジックメモ」、書き込んだ字や絵を簡単に消すことができる一種の玩具でして、仕掛けは、蝋のようなやわらかい材料を塗った板の上に、くすんだ色のビニールシートをかぶせたもので、このビニールシート、一辺だけが板に固定されており、開けることができる。

で、板にシートを重ねた状態で、シートに局部的圧力を加えると、その部分だけシートが軟質素材に密着して黒く見えるようになります。つまり、絵や文字が書ける、というわけです。で、シートをめくると軟質素材とシートが離れて、書いたものは消える、便利な道具です。

このマジックメモ、フロイトが人の精神のアナロジーとして取り上げてたというのですが、白状いたしますと、私、初めて知りました。まあ、フロイトの著作も読んではいるのですが、2~3冊。デリダのフロイトからの引用は「フロイト全集」からでして、全部読んだみたいです。さすがに哲学者ともなりますと、やることが違いますね。

フロイトもデリダも、人の知的活動がニューラルネットワークによるものである、ということは大前提としており、この本でも言及されています。まあ、これが判りにくいのは、現在の用語とかなり違う言葉が使われておりまして、「通道」なんていわれてもぴんとこないのですが、これ、シナプスの接合が形成された状態を意味しています。

わかりにくい訳に文句を言っても始まらないのは、書かれた言葉、つまりエクリチュールは単に意味を伝えるだけでなく、その人の生きた時代や人柄までも伝える機能があるからで、まず、この講演が行われたのが1966年、その当時の大脳生理学をベースにしてるということ、もう一つは、パタゴニア語で書いているようだとも称されるデリダ独特の難解な表現がありまして、これをすらりと訳したのでは持ち味が消えてしまう、という考えもあるのでしょう。

閑話休題。フロイトの功績は、無意識の存在を明らかにしたことで、知覚されては忘却される、うつろいゆく意識の世界に対して、見たもの聞いたものを全て保持しているかのような無意識の世界を、精神活動の「痕跡」として、書かれた言葉のアナロジーで語る。それがこの節のデリダの着眼点です。

で、このマジックメモ、なんですけど、ビニールシートの表に見えるのが意識された世界。シートをめくると、表に現れる文字は消えてしまうのですが、その下の蝋版には、書かれた文字が凹みとして残っている。これは無意識の世界に残された痕跡に対応するのだと。

はいはい、と私の感想ですが、マジックメモ、人の精神活動に似ています。似てはいるのですが、それ以上のものでもないような気が、、、

今ならさしずめ、コンピュータや、それを結びつけたネットが使われるべきところです。1966年は微妙な年代で、大型コンピュータが使われるようになったのですが、あくまでも計算機としての利用。単なる計算する道具では、人の精神活動とはかけ離れています。でも今は文字や図を書く道具としても一般的。マジックメモなんてモノよりは、はるかに一般的に使われているのですね。

PCを使っての作文・作図、痕跡も残ります。バックアップを取っていれば、の話ですが、下手をすると、最新版の文書の他に、古いバージョンがいくつも残ってしまうのですね。これがネットとなりますと、どんなことになっているやら、見当もつきません。そもそも、この流している情報、いったいどこに流れているかも判らないし、どこで記録されているかも判りません。まあ、楽天のサーバに一つの記録があろうことだけは確かですが、、、

ネット、実は、人間の精神活動のアナロジーに使える以上の、実質的な類似点があるのではないか、などと私は考えているのですね。少なくとも、アナロジーとして持ち出すとそれ以上の議論になってしまうリスクがあります。

ネットを含む人間間のコミュニケーション、これは、ニューラルネットワークの機能に極めて近く、そこでは立派に精神活動が行われている、というのが私のかねてからの主張です。で、その人類全体の知的活動こそ、我々が意識しなくちゃいけないのではないか、などと考えているのですね。

そこまで考えると、マジックメモに関する議論、かなり無理があるような気がいたしました。むろん、ネットの発達した現在だから言える話ではあるのですが、、、

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