テロルの時代と哲学の使命、楽しみですね

読書の秋、たけなわとなりました。

最近、暇ができるとデリダを読んでいるのですが、デリダがらみで、見逃せない一冊があることに気付き、早速神保町に出向いて買ってきましたのが、表題の一冊です。

←これ、厚い割にはお安い、お買い得の一冊です。その値付けの意味するところは、部数が出ると出版社が踏んだからでしょう。更にその裏にある驚愕の事実とは、読みやすい、ってこと。量を売るには難解は駄目です。どちらも、一般の読者には、ありがたい話ですね。

で、この本、一言で言えば、インタビューの名手で哲学者のジョヴァンナ・ボラッドリ女史が、9.11事件に衝撃を受け、たまたま直後にニューヨークを訪問することになっていたデリダとハーバーマスにインタビューを申し込んで実現に漕ぎ着けた、その内容、です。

デリダはフーコーの弟子で、エクリチュールと脱構築の人。エクリチュールは書かれた言葉でして、これまでの話し言葉重視の哲学界に、書き言葉重視を訴えた人、というわけ。

脱構築の方は、構造主義に対する批判的立場、と私は理解しております。ま、つまるところ、人生色々、会社もいろいろじゃあ駄目よ、ということでしょう。これ、民主党の理論武装に格好かもしれません。そういえばハーバーマスもそうです。民主党員必読の一冊、ですね。

デリダの思想に関しては、いずれ考えがまとまったところで議論したいと思いますが、書き言葉重視、というのは重要なポイントです。メディア論のマクルーハンは、ラジオを部族の太鼓、などと呼んでいますが、瞬時の心の動きで語られ、瞬時に受け取られ、そして消えてゆく言葉は、感情に働きかける効果が高いのに対し、熟慮の上で書かれ、保存され、読み返すこともできる書かれた言葉は、知性に働きかける効果が高い。少なくとも、知性を持って読まれることを覚悟の上で書かれている、はずなのですね。

現在の世界を覆う宗教的対立は、知的対立と言うよりは、部族的集団間の感性的対立。これを解消するためには、書かれた言葉の力に頼る、確かにこれしか道はなさそうです。

そしてデリダの脱構築、多様な文化の並存をあるがままに認めるのは良いけど、そのまま放置するのではなく、止揚の道を考える、まあ、多分そういう意味だと思うのですが、そうであるなら、これは一つの社会運動になりえるのですね。

もう一人のインタビューの相手、ハーバーマスですが、この方は、哲学者、というよりは社会学者でして、政治的には社会民主主義。討議を尽くして合意の形成をと訴える、理想主義的民主主義の信奉者です。まあ、この理想には、個人的には共感します。

この主張に対する批判は、このプロセス、時間が掛かりすぎる、というものですが、速ければよい、というものでもありません。ヴィリリオなどは、電子技術はその速さの故に民主主義を破壊する、なんて主張をしております。ごもっとも、ですね。

で、このお二方にインタビューをする。あの9.11の混乱の中で、天才的インタビューアの頭に浮かんだこのアイデア、出版すれば爆発的に売れるでしょう、との予想が、この本の定価にも表れているのでしょう。でも、出版から2年近くを経過してまだ第一刷。出版社の目論見、ひょっとすると大外れ、かもしれませんねえ、、、

でも、私にしてみれば楽しみな一冊。これからゆっくりと、読まさせていただきます。


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