デカルトと、目玉焼きに関する省察

ぽかぽか陽気の日曜は、窓を開けて、ごろりと横になって本を読む、幸せなひと時です。

取り出だしましたる書物はデカルト著「方法序説/省察」。白水社イデー選書のこの一冊、デカルトの本が文庫本だけ、というのはちと寂しいと、書棚の飾りに購入したのですが、読んでみると、哲学書らしからぬ、なかなかこなれた翻訳です。あ、そうそう、訳者は三宅、小池、所の三氏。東大文学部の方ですね。訳者前書きの、ぷんぷんと、怒ったような感じもなかなか好感がもたれます。

で、この本十数ページ読んだところで、面白い文章に出くわして、考えが別のところに行ってしまいました。そうは言っても、コレを読まれている方には、ちんぷんかんぷんでしょうから、少々解説をしておきましょう。

まずは、方法序説から、該当の箇所を引用しましょう。

さまざまな国々の世のさま人のさまについて何かを知っておくのはいいことで、それは私たちの生き方や暮らしぶりをいっそうまともに判断するためにも、また私たちの流儀に反することは何でもこっけいで理屈に合わないと考えないためにもなります。何も見たことのない連中は、えてしてそう考えます。

話は飛びますが、私が会社勤めを始めた頃、新潟県の独身寮にしばらく住んでいました。その独身寮、新潟県ですから、朝食は米の飯、でして、頼むと卵を調理してくれます。

目玉焼、普段の私は、塩と胡椒をかけて食べるのですが、その食卓の上には、醤油とソースしか置いていないのですね。まあ、塩胡椒で目玉焼きを食べるのはパンの場合。米の飯ならソースで良かろうと、何の躊躇もなく、目玉焼きにソースを掛けたわけです。

ところが、そうする私を大笑いする奴がいる。地元の人間なのですが。で、私は、腹が立つよりも、実に奇異な印象を受けたものでした。つまり、新潟の人間には、どうやら、目玉焼きとは、醤油をかけて食べるもの、なのですね。すっげーど田舎に来てしまった。まあ、そのときの印象は、正直、そんなものでした。

上に引用したデカルトの文章を読んで、真っ先に思い出したのがその出来事。ははあ、デカルトさんも、似たような経験をされたな、と思いましたね。

この文章の何ページか後に、大学で学問を修めたデカルト、学問の胡散臭さを感じて旅に出た、といったことが書かれています。おそらく旅先で、デカルトさんの奇異(?)な行為が地の人に嘲笑される、なんてことがあったのでしょう。ま、えてしてそう考えます、なんて記述からは、そんな経験を何度もしたようにも読み取れるのですね。

まあ、目玉焼きに何を掛けて食べようと、どうでも良い話なのですが、自分達が普段見聞きしていることと違うことをする人間を嘲笑する、というのは、ある意味、危険なことです。そういうことをすると嘲笑する人が、相手にとって、得体の知れない人になる。逆に、嘲笑されてしまうのですね。

お互い嘲笑し合っている間は、まあ、和やかな雰囲気、なのかもしれませんけど、これが進むと、避ける、攻撃する、排除する、、、、結局、同じ風習を持つものが集まり、他の風習を持つ人達と異なるコミュニティーを作り、互いに他を、馬鹿にし、攻撃することになりかねないのですね。

そんな関係が火を噴いたのがフランスの暴動だし、中東に争いの絶えない理由の一つであるとも思えるのですね。

デカルトさんのこの記述、かなり大事なことかもしれません。まあ、世の中の指導者的立場に立とうという人は、できる限り、諸国を巡って、自分と異なるさまざまな人々の風俗や考え方を知っておくべきなのではないでしょうか。

と、まあ、そんなことを書いていましたら、無性に目玉焼きが食べたくなりました。もちろん、ソースを掛けて、ご飯と一緒に、ですね。

そうだ、今日のお昼はハンバーグにしよう。これ、運がよければ、目玉焼きが載ってくるし、ソースをかけても大丈夫♪