ムハンマド風刺漫画と、報道の自由について

デンマークの新聞ユランズ・ポステン紙がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載したことに対してイスラム社会の人々が一斉に抗議致しておりましたが、このほど、デンマーク国内の報道賞を受賞したとのニュースがありました。受賞理由は報道の自由を守った、ということです。これでまた、抗議活動が活発化するのでは、と懸念されます。

この事件に対して私が思うところは、デンマークの新聞、少々やりすぎである、ということです。報道の自由は、守られるべき、大事な権利なのですが、その意味するところは何を報道しても良い、ということではありません。

現在広く認められている基本的人権の中には、報道、言論の自由の他に、思想、信教の自由もあるわけで、イスラム教を信じる自由も、守られなければいけないわけです。また、基本的人権として、人格権が認められており、正当な理由なく侮蔑されれば、それは人格権の侵害ということになるわけです。だから、宗教指導者を貶めるような漫画の掲載は、相当な理由がなければ、いかに報道の自由があるからといっても、掲載することは許されないはずです。

で、この漫画を掲載した理由なのですが、最初伝えられた話では、爆弾テロを皮肉った、というもの。その後、デンマーク国内に流入する移民に対する嫌悪感が背景にあるのでは、などとの観測も流れましたが、上に掲げた記事では、

漫画を掲載した編集担当者のフレミング・ローズ氏は「欧州の文化関係者の間に自己検閲の傾向があり、その論議を始めるために漫画の作成を依頼した」と述べ、ムハンマドを批判する意図はなかった

ということですから、これは全く不適当な漫画の掲載であったものと思われます。そんな意図で載せるのであれば、自らの宗教なり、文化なりを否定してみせるべきだったのではないでしょうか。

西欧社会とイスラム社会の文化的対立は、今日の世界を覆って鳴り響いている不協和音の、ベース、ともいえるでしょう。この不協和音、イスラムの頑なさが、彼らがそうであるがごとく振舞っているとの印象を受けるのに対し、西欧社会側の対応のまずさ、判断の甘さに、歯がゆいものを覚えるのですね。

そもそものイラク侵攻にしてみたところで、太平洋戦争で敗れた日本に親米国家が誕生したように、フセインを排除すれば問題解決、と考えたところに大いなる誤算があります。かの地に民主主義を根付かせれば、イスラム政権が誕生することは当たり前の話。シーア派とスンニ派が対立するであろうことも、当初から予想されていたのですね。

もう一つは、自爆テロ、相当な覚悟と強い意志がなければ出来ることではありません。それをやる人間がいる、ということは、確かに直接的なテロの原因なのですが、そのような人々を生み出す状況が、むしろ大問題であるわけですね。

相互の排除と無理解も、そのような状況を生み出す原因の一つですから、デンマーク紙のムハンマド批判漫画の掲載も、批判によって悲劇を防止するというよりは、新たなテロを生み出す、火に油を注ぐ行為であったとも考えられるのですね。

少し前のこのブログで、国家の品格を取り上げたのですが、その本で絶賛しておりました、新渡戸稲造著「武士道」(矢内原忠雄訳)の中に面白い一節がありましたので、ここにご紹介しておきましょう。この一文は、背中に蚤がいると指摘された武士が指摘した町人を切り殺した、という一例をあげて、(動物にたかるような蚤がいるとの指摘が)武士の名誉を傷付けたから、というがこれは名誉を守る例としては不適切である旨の解説をした後に、キリスト教にも不適切な行為があったことを述べ、弁解しております。

不正常なる一例をとって武士道を非難することの明白に不公平なることは、キリストの真の教訓をば宗教的熱狂および妄信の果実たる宗教裁判および偽善から判断するに異ならない。しかしながら凝り固まりの宗教狂にも、酔漢の狂態に比すれば何ものか人を動かす高貴さのあるごとく、名誉に関する武士の極端なる敏感性の中に、純粋なる徳の潜在を認めえないであろうか。

まあ、この伝でいきますと、自爆テロにも純粋なる徳の潜在を認めえないであろうか、ということになってしまうのですが、比較の対象が、酔漢の狂態、ですから、まあ、、、