うぬぼれる脳、を読む

かつて現象学盛んなりし頃、「コギトに帰れ」などということが盛んに言われたものですが、ここは「デカルトに帰れ」と言うべきだったのではないだろうか、などと、最近考えております。何しろコギトはデカルトの思想のごく一部。デカルトは、当時一線級の自然科学者で、座標幾何学の創始者であるばかりか、人体機械論を唱え、あっさり日和ってしまったものの、ガリレオと同時代にして地動説を支持していたのですね。

1. 延長(広がり)と属性

デカルトの思想は、コギトに人の観念の確かさを基礎付ける一方で、物理的に実在するといえる(明晰判明に私の知得する)ものとして、「大きさ、あるいは長さと広さと深さとにおける延長(ひろがり)と、そうしたひろがりの限界付けによって発生する形状(かたち)と、異なった形状をもつものが相互の間で占める位置と、それに運動…であるにすぎない」と言います(方法叙説より引用。一部略)。

これを「真に物理的に存在するといえるものは空間に分布するエネルギー粒子だけである」と言い換えれば、デカルトの言葉は今日でも大きな意味を持ちます。で、その他のものや属性(硬さだとか色だとか温度とか)は観念的存在である、と言うわけです。

もちろんこの考え方は今日では正しく、物体の中に、硬さや温度などといったものが含まれているわけではなく、硬さは物体を構成する原子間の距離とエネルギーに関する量子力学的効果の現れであり、温度は同じく原子の振動運動の現れです。

2. デカルトの松果体説

デカルトは、人間の精神は、物理的には、松果体に存在すると考え、ここから伸びている神経の管通る霊気によって感覚が精神に伝わり、精神が筋肉を動かしていると考えていました。

これは正しくはなく、精神の物理的所在は「松果体」ではなく「脳全体」にあり、神経を通るものは「霊気」ではなくイオン濃度の「インパルス」であるわけです。

しかし、400年前の人にそこまでの正解を求めるのは少々酷な話でありまして、ホールインワンは逃したもののニアピン賞くらいはゲットできそうな慧眼である、と私は思います。

というわけで、デカルトに帰る一つの道として、物理的存在としての人間精神について、少々掘り下げてみたいと考えており、最近は脳に関する書物を色々と紐解いているのですね。

3. 自己認識

で本日ご紹介いたしますのは「うぬぼれる脳」。J.P.キーナン著、山下篤子訳のこの一冊はNHKブックスの定価税別1,260円とお買い得です。少々おちゃらけた書き方には違和感を覚えるものの、小難しい専門用語を並べ立てた書物に比べればはるかに読みやすい、ユーザーフレンドリーな一冊ではあります。

この本がテーマとしておりますことは自己意識。自分を自分であると認識できるのはなぜか、という問題を鏡を使って解いてやろう、というのが本書の中心課題です。

なぜそんな話になるか、といいますと、脳の特定部位に損傷を持つ人は、鏡に映った自分を自分と認識できない、という常識では考えられないような症状を示すのですね。この症状は「鏡兆候」、「鏡失認」などという用語もあるくらい、さほど症例は多くないものの、古くから知られた症状であったようです。

最近は、生きた人間の脳を、外科手術をしないでも、内部の状況を観察することができるようになりました。同書によりますと、MRI、fMRI、PET、SPECT、ERP、そしてNMA(No More Abbreviation!: 略語はもうたくさんだ!)などの技術が進歩して、脳内の欠損部位や、活動中の領域をそれぞれ異なる空間分解能と時間分解能で、グラフィックに観察できるようになりました。で、鏡失認の患者の脳を観察すれば、どこが悪くてそうなったかがわかる、というわけです。

で、結論から言ってしまうと、自己認識には脳の右半球が使われているということです。最近流行の言葉でいえば、言語や論理に関する機能を担う左脳に対して、自己認識は右脳が担っている、と言うわけです。

4. 鏡失認のテスト

鏡失認であるかどうかをテストするには、言葉は不要で、直接目では見えない顔の部分にペンキでマークを付け、鏡を見せたときにそのマークに手を触れるかどうかで判別できます。

このテストをサルに対して行うと、チンパンジーとオランウータンだけが自己認識が可能で、他のサルはできないこと、群れから孤立したチンパンジーは自己認識ができず、この能力は他の個体との関わりが必要である、といったことがわかりました。また、幼児に対して同様なテストを行うと、18ヶ月頃から人はこの能力を身に付ける、とのことです。

まあ、このあたりは著者の独擅場でして、イルカの自己認識判定がいかに困難な実験であるか(イルカには手がないため)とか、人を騙す能力のテスト(他人の考えを知らなくては騙せないから)、とかさまざまな興味深い事柄が述べられているのですが、ここではパスいたします。

それにいたしましても、コギト・エルゴ・スム(我惟う故に我あり)などと言うまでもなく、人は1歳半にして自己の存在を認識するという科学的事実があるのですね。で、これには他者との関わりが大きな役割を果たしていることも大事な点です。そして何よりも、自己の認識は脳の機能の一つであるということ、これらの事実は、哲学的考察に先立って、まず受け入れる必要があるのではないか、と私は思います。

5. デカルトの死

さて、「デカルトに帰れ」ですが、簡単なデカルトの紹介がWikipediaにあります。ご一読ください。

それにしても、


1650年1月から、女王のために朝5時からの講義を行う。朝寝の習慣があるデカルトには辛い毎日だった。2月についにデカルトは、風邪にかかり、肺炎を併発し、死去した。デカルトは、クリスティーナ女王のカトリックの帰依に貢献したが、デカルトの早すぎる死は、後世に与えた影響力を鑑みると、女王の責任は多大であったと言える。

ですかあ、、、げに恐ろしきは女性、であります。