西研氏とフッサールの微妙な違い

昨夜遅くまで、西研さんの哲学的思考を読んでいて今朝は寝坊してしまいました。

日曜日のこのブログで、フッサールのデカルト的省察をご紹介し、フッサールによる客観の再定義について書いたのですが、先週のこのブログで少々否定的に紹介してしまいました。西研さんも、そういえば何か書いていたなあ、ということに思い当たり、読み直してみたという訳です。

で、まだ読みかけなのですが、確かに西研さんは大変な学識の方であることが良くわかりますし、フッサールの思想についての詳細な解説は、読んで損のない本です。

でも、私の気持ちとは、なんとなく違う、という印象を受けるのですね。論理と言語の左脳型の本、といいますか、何でそれを考えなくてはいけないか、というドライビングフォースの部分が読者に伝わってこない。

フッサールの活躍した時代、20世紀の初頭は、それまで絶対的な真理とまで考えられていたニュートン物理学をアインシュタインが粉砕してしまった時代であるわけでして、フッサールはこれを直接書いたりはしていないのですが、真理の不確かさ、ということが現象学の根底にあるであろうことは想像がつくのですね。

ユークリッド幾何学にしたところで、今日では、この世界では厳密には成り立っていない、ということがわかっています。つまり、三角形の内角の和は二直角ではないのですね。重力の影響で空間が曲がっていますから。

でも、ニュートン物理学にせよ、ユークリッド幾何学にせよ、間違いではありません。少数の原理を受け入れるなら、その他の無数の事柄が、論理的帰結として導き出されるわけです。まあこれは、ヴィトゲンシュタイン的世界、ではあるのですが、哲学はその外側の世界を扱わなくてはいけない。メタフィジックス(形而上学)こそが哲学の主戦場であり、フィジックスの部分はその分野の専門家にやらせておけば良いのですね。

で、西研さんの哲学的思考が左脳型である、ということは、すなわち論理の世界に引かれ気味である、ということでして、メタな部分にはフォーカスが合っていないのではないか、という印象を受ける次第です。

この本に関しますきちんとした論評は、もう少しちゃんと読んでからいたしたいと思います。幸い、今週はネギま!も休載ですし、この週末あたりには、何かご報告できるのでは、と睨んでおります。実は、先ほどもこの本を読んでいたのですが、あまり深入りしますと、また寝坊、ということにもなりかねず、本日はほどほどにしておく所存です。

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