「哲学的思考」を読む(続き)

昨日より再読を始めました西研氏の哲学的思考、今日も暑い日となりましたが、無事読了いたしました。で、感想としては、なんだか違う、という、最初の感覚が残っています。

まず、フッサールの書いた書物の紹介という観点からすると、この本は非常に価値の高い本です。何しろ、西研氏は、日本語訳を参照しつつも、フッサールの全著作を原書で読まれているわけですから、フッサールが何を書いたか、という点につきましては、これほど確かなものはありません。

しかし、このブログ、私が読んでおりますものは、相場にしてもネギま!にしても、書かれていない事柄を読むことを身上としておりまして、書かれたものだけ読んで済ます、というわけにもまいりません。むしろ、書かれていない事柄が、非常に気になったりいたします。

フッサールは、元々が数学者で、論理学を経て哲学の道に進んだ人です。活躍したのが20世紀初頭で、1938年没となっています。

この時期、大変な論争となりましたのが、アインシュタインの相対性理論です。特殊相対性理論が発表されましたのが1905年で一般相対性理論が1916年。この結果起こりました大論争の時期は、フッサールが現象学を深めた時期と一致しているのですね。でも、フッサールはこれに関して、何の言及もしていません。これは、諸学の基礎を確立しようという立場を考えると、はなはだ不思議なことです。

何しろ、それまでは、ニュートン力学が宇宙の動きを全て記述する、絶対的な真実と考えられていました。世界の全ては、玉突きの玉のようなもので、初期条件を与えれば、その後の動きは運動方程式に厳密に従う、とまで考えられていました。

そのニュートン力学を否定したのが、アインシュタインの特殊相対性理論でして、光速不変の原理が導き出すその理論の結果は、運動とともに硬い棒が縮んだり正確な時計も遅れたりと、ほとんどアリスの世界。常識的には素直に受け入れがたいものでした。

ここで、人々が気付いたことは二つありまして、第一に、物理法則は仮説である、ということ、第二に、正確な理論を追求すると物理法則はどんどん難解になるということです。

まず、第一の点ですが、これまで絶対的な真理であると考えられていたニュートン力学を否定する以上、相対性理論が絶対的な真理であるというためには、相当な根拠が必要です。しかし、光速不変の原理にしても、そうでなければならない理由はなく、単に、どのような場所で測定しても光速は一定である、という実験的事実があったからそうしているだけです。

アインシュタインの相対性理論が受け入れられたのは、それがこれまでに行われた実験結果を良く説明した、ということ、更には一般相対性理論で予想された光線の曲がりが、日食の際に行われた太陽近傍の星を観測することで確認されたことなどによります。これとても、だから相対性理論は正しい、ということにはならず、間違っているとはいえない、というだけのことであり、しかし一方で、光線の曲がりを説明する理論は他にないことから、相対性理論は正しいと考えよう、ということであるに過ぎません。

第二の点につきましては、なにぶん、アインシュタインの一般相対性理論をきちんと理解している人は世界に3人しかいない、といわれたくらいでして、普通の人がついていけないのは当たり前の話なのですね。

この辺を押さえますと、フッサールがなしたかったことがなんとなく読めるわけでして、第一の問題点から、人の主観を離れた絶対的な真理としての客観の定義を否定し、他者とともに受け入れ可能な概念としての客観という形に再定義する必要がありますし、第二の問題点から、生活世界においては、真に正しい概念を使う必要はなく、近似理論で充分である、と説いたのではないか、と想像する次第です。

フッサールがこういうことをきちんと書いておいてくれれば、後の世の人は余計なことで悩む必要はなかったのですが、なぜかフッサールは、こうした物理学上の論争には一切触れておりません。その理由は、憶測するしかないのですが、諸学の範たる哲学の道を歩む者の美学であり、哲学者の領域にずかずかと踏み込んできた物理学への嫌悪があったのではなかろうか、と私は思います。

生活世界といえば、デカルトの哲学原理にあります、以下の言葉が思い出されます。

しかしこの疑いは、ただ真理の観想に限られねばならない。何となれば、実生活に関しては、我々が疑いから抜け出すことができる前に、しばしば事を為すべき機会の過ぎ去ることがあるから、我々は余儀なく、単に尤もらしく見えることを採用し、或いは二つのことのうち一つが他に比べて尤もらしく見えない場合にも、時にはいずれかを選ぶことが珍しくはないからである。

デカルトにとってのこの文章は、真理と思われる理論の出版に対する弾圧に屈して、少々筆を曲げることの言い訳のように、私には思われるのですが、フッサールの場合は、複雑さを極める物理法則に拘らず、実用的な理論を使うことの正当性を示すために生活世界重視の立場を明確に示したのではないでしょうか。

と、まあ、西研氏の本の内容からは大幅にずれたことを書いてしまいました。といいますのも、ここでは、書かれていないことを読んでいるからでして、フッサールの書いた事柄に関しては、同書は良いテキストになるのではないかと思います。

私がフッサールを読む理由は、フッサールが何を考えたかを知る、というよりは、世界を私なりに解釈する、その道筋を得んがためにフッサールの考えを参考にしたい、という動機によります。そういう意味で、フッサールの思想を紹介する立場の西研氏とは、少々異なる立場にありまして、フッサールの考えたことを解釈する方法論においても、また結果においても、差が生じるのは当然のことであったのしょう。


昨日のブログにちょっとだけ書きました、虚数軸と実数軸の張る平面における座標幾何学について、ちょっと考えてみましたので、その内容をご紹介しておきます。

まず、横軸Xを虚数軸、縦軸Yを実数軸とする直交座標系を考えます。この上に、半径1の円を書いてみます。

さて、紙に書いた直交座標系なら、容易に円を描けるのですが、この円、実は円ではありません。なにしろ、Y軸の部分では確かに半径は1なのですが、X軸と交わる部分では半径は i (虚数単位) なのですね。半径が一定でないことから、これは円の条件を満足しません。

次に、この座標系に点P = (ix, y)をとります。ここで、xもyも実数です。点Pは、複素平面であれば ix + y という複素数を表すスカラー量なのですが、この場合は二次元ベクトルPとなります。

さて、PとX軸のなす角θを考えます。ここでは第一象限だけ(つまりx>0かつ y>0)で考えることにいたします。θがどのような数になるかは少々難しいので、ここでは、三角関数を考えます。実用的には、角度が表現できなくても、三角関数がわかればさしあたり困らないと思うのですね。

まず、タンジェントtは簡単で、t = tan θ= y/ixです。タンジェントは常に虚数になります。時間軸を虚数とする場合、速度はタンジェントで表されますので、速度は虚数になります。つまり、v = y / ix = tです。

次にサイン、コサインですが、これを知るためにはベクトルPの長さを知る必要があります。で、この長さ |P|=L は、√(y^2 - x^2)となりまして、x>yなら虚数、x<yなら実数となり、x=yの場合はゼロとなります。長さゼロに対してはサインもコサインも定義できないのですが、これはさほど驚くにあたりません。実数の場合でも、90°ではタンジェントは定義できませんが、これで特に困る、ということもないのですね。

さて、長さLが定義できますと s = sinθ=y / L、 c = cosθ= ix / L となります。

サイン、コサインはタンジェントから計算することができます。つまり、x = -iy / t, y = ixtですから、s = y / L = 1 / √(1 + 1/t^2)、c = x / L = 1 / √(1 + t^2)となります。

サイン、コサインが求まれば、回転変換が可能です。速度vで移動している座標系への変換は複素空間内の回転変換で表され、t = vと置いて求めたサインコサインを用いて座標の回転変換を行ってやれば、あら不思議、ローレンツ変換と同じ式が得られます。

ここで、vは光速がiとなるように単位系を選びます。速度vは光速以上になることはありませんので、サイン、コサインが定義できない領域は、幸い、使用しないで済む、ということになりました。

さて、特殊相対性理論が発表される前に、誰かが時間は虚数である、ということを発見すれば、その後の物理学はずいぶんと変わっていたと思います。こうなる可能性も、ないとはいえなかったのですね。

なにぶん、等速直進運動をする座標系への座標変換は、少なくとも時間軸に関しては回転変換になります。つまり、時間軸は空間方向のゼロの点をトレースしますので、相互に等速直進運動する座標系間では、ある瞬間に原点を合わせたとすると、その後の時間経過とともに原点間距離が拡大し、この結果、時間軸は異なる向きを向くことになります。

ガリレオの変換は、時間軸を傾けただけという形を取っているのですが、そもそも空間軸と時間軸の直交関係を崩して良いものか、という疑問が生じても不思議はありません。で、直交関係を保ったままで回転変換を行うと、同時刻性が崩れる、というわけです。

ただしここには一つ抜けがありまして、幾何学的に座標系を回転変換する場合は、縦軸と横軸のスケールを同じにしないといけません。ところが、時間と距離を、どのようにして単位系を合わせればよいのか、という問題が生じます。

しかし、これも当時問題となっていたのが、マクスウェルの方程式とニュートン力学の矛盾だったわけですから、そこに現れる時間と空間の比例係数であります光速cが関係していそうだ、という推測もできるはずです。でも、これを使っただけではまだ矛盾は消えません。そこで、どうせ時間と空間は違うものなんだから、時間を虚数にしてしまえ、という乱暴な発想が加わって、はじめて全てのつじつまが合う、というわけです。

ま、こういう風に話が進んだところで、現実に生じる物理現象は特殊相対性理論と全く同じです。でも、ニュートン力学に対する補正は、非常に軽微、との印象を与えたのではないか、と思うのですね。まあ、いまさらそんなことをぐちゃぐちゃ言っても、いたし方のないことではあるのですが、、、


虚数時間の物理学、まとめはこちらです。

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