「集中講義!日本の現代思想」を読む

本日本屋をのぞきましたら、「集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとはなんだったのか」などという面白そうな本がありましたので、早速読んでみました。

この本、1945年8月の第二次世界大戦敗戦から2006年9月の安倍内閣誕生までの間の、日本の「思想業界」の動きを紹介した本、とでも言いましょうか、まずはマルクス主義全盛の時代から、ポストモダンの興隆と、これが怪しくなった現在の状況までを紹介した本でして、本年11月30日の第1刷発行と、非常に新しい本です。って、3日も先、ですね、この発行日。

まあ、内容につきましては同書を読んでいただくことにいたしまして、ここでは感想だけ記しておきます。

結局のところ、ここでいう思想、というのは社会運動の呼びかけ、のようなものであって、そこにはさまざまな理屈があるのですが、問題は、そのよって立つ基底の部分が欠如している点です。思想業界におきましては、目先の問題に処方箋を示すことが第一の使命であって、それを裏付ける理屈があれば十分、ということなのでしょうか。

先日のこのブログで「哲学者は何を考えているのか」をご紹介いたしました際、英米はプラグマティズム(実用主義)の国であるゆえ、哲学の基底にある形而上学(メタフィジックス:科学が可能である理由やその限界を極める学問)が弱いのではないか、と書いたのですが、日本の思想界にこういったものが何もない、ということなのでしょうか?

もちろん、同書でマルクス主義者に分類されている廣松渉氏などは、哲学の分野でも大活躍した方。Wikipediaによりますと、「日本には哲学史家や哲学輸入業者は多いが真の哲学者は少ない」云々といわれるとき、「真の哲学者」として念頭におかれるのはこの廣松や、廣松を東大に招いた大森荘蔵であることが多いなどといわれるくらいの方なのですね。まあそれにしても、哲学輸入業者、ですかあ、、、この業界にもさまざまな業者の方がおられるのですね。

まあ、この本が、「思想家」を扱う本であって「哲学者」を扱う本ではないことは確かなのですが、本来、思想は哲学に裏打ちされていなければならないように、私には思えるのですね。

そこへ行きますと、以前このブログでご紹介いたしました西研氏の「よみがえれ、哲学」などは、まず哲学を追求するまじめさが好感されます。その分、不遇を嘆いているようなところは、お気の毒、としかいえないのですが、、、

結局のところ、思想にせよ、哲学にせよ、学問の一分野であると同時に、その研究に携わる人々には職業、なのですね。特に哲学などというややこしいことを研究した日には、そうそう簡単に大発見など出てくるはずもなく、まず、経済的に行き詰まることは目にみえております。

結局のところ、これらに携わる人々も、ある種の業界に所属し、社会的ニーズの高いテーマを扱うしかない、ということなのでしょう。それにしても、思想の土台となります部分の研究もきちんと行っておきませんと、思想も根無し草。傍からみる者には、流行を追っているだけ、などという印象を与えかねないのではないか、などという余計な心配もしたくなります。

そういう意味で、集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとはなんだったのか」は、少々、私には、物足りない一冊、ではありました。

まあ、業界動向というのは、それなりに、面白いものではあったのですが、、、


同書はこちらで読み直しています。