あまりにも楽観的。「ポスト・ヒューマン誕生」を読む

まるで長戸有希が読みそうな分厚い本、レイ・カーツワイル著「ポスト・ヒューマン誕生」を思わず買ってしまいました。内容も、彼女が言い出しそうなことが書かれております。

などと書きましても、ほとんどの方にはピンときそうにありませんので、簡単に内容をご紹介しておきましょう。

1. シンギュラリティ

同書のキーワードは「特異点(シンギュラリティ)」とGNR(遺伝工学、ナノテクノロジー、ロボット)です。

まず、情報処理技術は、その発達スピードに照らせば、近い将来において人間の脳のレベルをこえるであろうということ、人間の脳で行われていることを解析する技術も進んでおり、まもなく人間以上の考える機械が実現するであろう、ということを定量的に説明いたします。

この主張は、このブログでこれまでに行っているものと同様であり、私も同書のこの部分につきましては異論がありません。

ただ、その先、となりますと、これは少々眉唾的。

まず、同書最大のキーワードであります「特異点」が、全然、数学的ではありません。何しろ、指数関数的増加のあるポイントを「特異点」と称しているのですが、事象を指数関数にあてはめる際の特異点は、ゼロから有限の値が生じる点であって、その後の増加が急拡大する点などは、単に見かけ上の存在、数学的な特異点は指数関数には存在いたしません。

人工知能の進化において、特異点が存在するとすれば、人工知能の研究を人工知能自身が開始する段階ではなかろうか、と思われます。このときの進化の速度は、単一の指数関数的増加と異なり、人が研究していた段階とは異なる関数で記述される速度となるでしょう。

と、いうわけで、同書の内容に関しましては、少なくとも学術的な正当性に関しましては、一定の警戒心を持った上で読み進むことが肝要か、と思いますが、実は、そういった警戒心なり、批判精神は、どのような書物を読む際にも必要なこと、でして、だから同書の価値がゼロである、という結論には至りません。むしろ、この本に書かれたことは、他の書物にはない、さまざまなユニークな観点を提供するものではあります。

2. 社会的な問題

まず第一のポイントは、考える機械を人工的に作り出した後は、その進歩は人類の知能の進歩に比べて格段に早いはずである、と指摘いたします。なにぶん、半導体技術の進歩は、人という種の進化に比べて比較できないほどのスピードですし、そもそも人類が進化を続けているかどうかも疑わしいのですね。

その半導体技術の進化にしたところで、知性の働きの結果であって、知性を担う主体が人から機械に置き換わった段階で、技術の進化は質的な変化を遂げるはずです。

ただし、同書が無視しているのは、社会的な問題であって、人以上の知性を持つ機械を作り出すことを社会が果たして認めるかどうか、という点がポイントとなります。私は、このような装置の製造には、一定の枠がはめられるのではないか、と予想しているのですね(レイヤ7参照)。

その先の議論となりますと、なかなか論評の難しい内容が多く含まれます。「ナノボット」なる超小型ロボットを人体に注入し、脳のニューロンからDNAに至るまで、人体のさまざまな個所に改造を施す、というのですが、確かに病気治療の目的ならばこういった技術はすばらしいのですが、人体改造にはどうでしょうか? 私には、この手の技術を野放図に使用することには、はなはだ懐疑的です。

特に、軍事技術への応用、となりますと、大きな問題がありまして、いずれは国際的な制限を課すべき問題であるようにも思うのですね。

とはいえ、この手の超小型ロボットの可能性自体は、私は否定いたしません。まあ、数年、というスパンではとても難しいと思うのですが、数十年というスパンであれば十分に可能なこと。私は、おそらくは今後半世紀以内に、設計どおりの生物を人工的に作り出すことができるものと考えておりまして、特定の機能を持ったゾウリムシなり、ウイルスなり、細菌モドキなりを人為的に作り出すことは技術的には可能となるはずです。

もちろん、技術的に可能である、ということと、社会的に許容される、ということは別の話でして、このような人工生物を作ることは、危険もまた伴う行為でして、その結果がヒトという種の改造となりますと、これまた論議を呼ぶ問題であろう、と思うのですね。まあ、普通に考えれば、禁止、となりそうな気がいたします。

3. 意識の問題

さて、同書が怪しくなりますのは後半、宇宙に関する話題に記述が進んでまいりますと、俄然、眉唾物となります。まずは「人間原理」ですが、これにつきましては、本ブログでも議論いたしましたが、あまり正当な議論とはいえません。こういう怪しげな話を持ち出してくる態度がまず疑問を抱かせます。エキセントリックな話題を何でも盛り込んでしまえ、という態度は、未来を予想する上ではマイナスでしかありません。無数の理論を批判的に取捨選択する行為こそ未来予測には欠かせない、と思う次第です。

次に話題は意識の問題へと移行するのですが、この時点で著者は問題を投げてしまっているかの感があります。実際問題として、人工知能の最大の問題は意識の問題であって、この問題を論ぜずに技術論だけで人工知能を論じてきたことが、少々無謀な試みであったように私には思われます。

ちなみに、私の考えておりますことは、人間並み、もしくはそれ以上の人工知能が作られたとすると、それは人と同様の意識をもつはずである、ということなのですね。だからこそ、この問題は社会的に難しい問題となるのですが、その部分を考察せずに、単に技術論のみを展開するというのは、あまりにも無責任であるように感じられます。

と、いうわけで、この本、技術的観点からは極めて興味深い本なのですが、あまりにも素朴。特に、倫理と社会的視点が欠け落ちているところには、危うさすら覚える内容である、と思う次第です。これらの観点に関しては、最終章で軽く触れられているのですが、皮相的な扱いにとどまっており、むしろ技術が可能となるのは社会次第である、という観点が完全に欠落していると、強く感じる次第です。

なお、技術的には興味深いと申しましても、特異点や人間原理など、怪しげな部分が多々含まれていることもまた事実でして、同書を読まれる際には批判精神を常に保つことが肝要ではなかろうか、と強く思う次第です。

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