「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む

あまりベストセラー的な本は読まないこのブログなのですが、本日は少々筋を曲げて、城繁幸著「若者はなぜ3年で辞めるのか?―年功序列が奪う日本の未来」を読むことといたしましょう。

著者の城氏、富士通の人事部門におられた方で、退社後、『内側から見た富士通―「成果主義」の崩壊』というショッキングな本を出された方でして、成果主義には否定的な方です。今回読みました本も、副題では年功序列に否定的な表現となっているのですが、なんとなく、年功序列に対するノスタルジーを感じさせる内容で、成果主義に否定的な印象を受けます。

とはいえ、論理的には、実質的に年功序列を保ったままで成果主義を取り入れることは、社員に失望感を与え、結果的に、若者の離反を招いている、というのが同書の内容ではあります。年功序列の元では、若い社員を低賃金で酷使しても、いずれ年が上がった段階でその分を報いるという、ある種暗黙の了解があったところに、成果主義やリストラでこれが果たされないということが明らかになってまいりますと、特に若い社員には、「やってられない」という意識が生じてしまう、というわけですね。

確かに、現在の日本、年功序列というシステムは破綻しております。これは、同書が指摘しますように、バブルとその崩壊が、直接的な原因であったのですが、私が思いますには、70年代から徐々に年功序列を支えた基盤が脆弱となり、これがバブルの崩壊で一気に表面化した、とみなすべきでしょう。

年功序列が成立する前提は、著者の指摘するように、業務の拡大なり、子会社、天下り先などのヒエラルキー的組織構造なりがあったことも事実でしょう。なにぶん、平社員に比べて上席のポストは少ないのが普通ですから。このため、経済の伸びが急速にダウンしたバブル崩壊時期に、年功序列制度の矛盾が一気に表面化した、という事実はあるのでしょう。

しかし、年をとるにしたがってより上位のポストに社員を就け、高給をもって遇する、という年功序列そもそもの合理的根拠は、人は年をとるに従って賢くなる、職務能力が増大する、という経験則にあります。

人間というもの、一般論といたしまして、年をとればなにがしか賢くなるという、そのこと自体は間違っておりません。しかし、企業を取り巻く環境は急速に変化するようになりました。こうなりますと、その会社の業務上の能力に関しましては、古い教育を受けた年長の人間が若年層に比べて賢い、とは一概に言えなくなります。

古い時代にも、技術の進歩はあったのですが、その歩みは緩やかで、年長の社員にとりましても、新技術へのキャッチアップは、さほど困難ではありませんでした。しかしながら、コンピュータが普及するようになりますと、この前提は少々おかしくなってまいります。

コンピュータという便利な道具は、古くは経理の計算と、ごく限られた領域の技術計算のみに利用されておりました。しかしながら、1970代に入りますと、その応用範囲は急速に拡大し、社会のあらゆる分野で使用されるようになりました。こうなりますと、業務のあり方そのものが大きく変化いたします。

技術の分野では、制御が電子化され、設計にはシミュレーションとCADが使用され、勘と経験に頼るベテラン社員は徐々に価値を失います。流通分野もPOSやサプライチェーンマネージメントが使われるようになりますし、複雑な金融技術も発達し、事務職といえども技術進歩の洗礼を受けることとなります。

こうなりますと、コンピュータを理解していること、情報技術に何ができて何ができないかを正確に把握していることがマネージャーにも要求されますし、コンピュータを扱う前提となります、対象を数値化し、数理モデルで扱う能力も要求されます。

さらに、1990年代にはインターネットが急速に普及し、新しい産業分野が開けると同時に、ビジネスのスタイル、方法論も大きく変化いたしました。また、産業構造も徐々に変化してまいります。これらの変化は、多くの社員にこれまでとは異なった能力を要求するようになります。

このような能力は、全ての社員が持っているわけでもなく、一律の年功序列を維持いたしますと、無能なマネージャが増加することとなります。企業の意思決定に際しても、無能なマネージャの考えを無視することができず、必ずしも最適な意思決定が行われないこととなります。その結果、企業運営は非効率化し、競争力を失うこととなります。

かつての大企業は、資金力を独占しておりまして、非効率な企業も、資金力の独占により競合を排除することが可能でした。また、業界の排他的な体質もあり、新参企業の参入には高い障壁がありました。

しかし、バブルの頃より、資金の流動性も高まり、新興企業も容易に巨額の資金を集めることができるようになりました。また、同時期に発展途上国の工業化も進み、海外との競合も激しさを増しました。この結果、非効率な企業は存続が危ぶまれることとなります。

そこで多くの企業が打った手が、高年齢社員の人件費の抑制でして、成果主義による昇進の抑制と、はなはだしい場合にはリストラという名の、実は人員整理がおこなわれました。確かに、わが国の中高年社員の給与水準は他国に比べて高く、ホワイトカラーの労働生産性も低い、という問題がありましたから、この処置は正しい対処ではあります。

しかし、同書が指摘いたしますように、これだけでは本質的な対応にはならず、若年社員のやる気を損ねる結果となるだけです。年功序列が破綻してしまった現状では、成果主義を否定することも困難であり、正しい成果主義を導入するしかありません。

成果主義、といいますものは、やりよう次第ではどうにでもなります。成果を認定するのは上司ですから、上司にとりましては、いくらでも操作のしようはあります。上司の思惑のさじ加減次第、というのでは、一律に昇進しておりました明るい年功序列の時代に比べて、暗黒の時代になってしまいます。

一方、賢い部下なら上司をだますことだってできます。つまりは、低い目標をいかにもそれが困難であるかのように装って示しておけば達成は容易。ろくな成果がなくても、形式的には高い成果を上げたことになるのですね。

こういったおかしなことがまかり通らないようにするためには、上司は賢くなくてはいけませんし、高い倫理性を持つことが要求されます。特にトップがそうでなければ、不適格な人間を高いポストに就けるという現象が連鎖的に発生いたします。ひとたび無能のトップを据えてしまいますと、成果主義が破綻することは目に見えているのですね。

第二に、急速な変化に対応しうる制度としなければならない、という問題があります。有能な社員も、環境が変化すれば無能になってしまう。これを防ぐためには、環境の変化を常に捉え、社員も対応しなければいけませんし、組織も対応しなければいけません。

かつては有能な社員も、ひとたび適応不能となりましたら、ポストを退いていただかなくてはなりません。それができるためには、その判断をする、さらに上の人間(最終的にはトップ)が充分な能力を持っていなければなりませんし、常に冷静に業務を分析する優秀なサポートチームが必要になるでしょう。

ところで、「成果主義」以前に「能力主義」が唱えられました。しかし、能力主義は根付くことがなく、成果主義が主流の世の中となりました。能力主義は能力に応じて遇する、成果主義は成果に応じて遇する、という違いがありまして、ある社員の能力を評価するためには、これを理解しうる評価者が必要となります。一方の成果主義であれば、目標と実績を並べれば、無能な上司にも形式上は評価可能です。つまりは、成果主義が破綻した組織にあっても、形式上は、成果主義を継続することができるのですね。

しかしながら、単なる形式だけの成果主義であれば、目標に細工することも可能ですし、数値化困難な実績に関しては、いかようにも表現することが可能です。結局のところ、社員の能力の評価が的確にできない上司であれば、成果の評価も実質的にはできないこととなります。つまるところ、能力主義が実施困難であるからその代わりに成果主義を導入する、という道筋はありえず、これを無理に導入した会社は、最初から成果主義の形骸化が予想されていた、ということになります。

まあ、人件費削減のツールとして成果主義を導入する、という秘められた目的があるなら、その判断も正しいのでしょうが、形骸化した制度を導入することによる副作用、つまり社内の倫理水準の低下は覚悟せざるを得ません。近年の企業不祥事の多発をみれば、倫理の問題も企業にとりまして重要課題であるはずでして、このリスクは、回避すべきリスクでしょう。

理想的な状況は、能力も成果も、きちんと上司が評価できることです。これが実現できているなら、能力に応じて権限を与え、成果・業績に応じて報酬を与えれば良いわけですから、皆が納得する制度となるのではないでしょうか。(例えばここを参照

同書の記述を読みますと、社員一人一人の側にも少々問題があるように思われます。特に、専門能力で高給を得ようと思うなら、会社がやらせたから、などといっている場合ではありません。自らの人生は自らが責任をもって切り開かなくてはいけません。己の専門能力が金を生みだすに足るものであるのか、ということは常にチェックしていなければいけませんし、社会環境、技術環境の変化は常にチェックしていなければならないでしょう。

これをサポートするため、会社の側も、企業戦略、すなわち目指す方向を常に見直し、これを社員に的確に伝えるといった施策が必要でしょう。

一方、社員の側では、自らが属する企業がこの変化に付いていけないと判断すれば、個人レベルでのリストラ、すなわち不採算部門の切捨てと将来性の高い分野への進出を図らなければならない、ということなのですね。これはわかりやすくいえば、転職をしなさい、ということです。

自らの能力で金を生み出す自信があれば、何歳であろうとも、心配は不要。そのような社員は多くの企業にとって欲しい人材であるはずです。どの企業も拾ってくれないとなれば、自力で会社を立ち上げる、という道もあります。

自信が現実に裏付けられたものであるとするなら、おそらくは自分でやったほうがお金になるはずです。ただし、自らの能力を自己評価する際には、過大に評価しがちである、という問題はあります。このような決断をするなら、自らを客観的に評価する能力も、磨いておく必要があるでしょう。このような能力は、社外の多くの人との触れ合いを通して身に付くものですから、そのような機会を積極的に作り出すよう、努力しなくてはなりません。

人には生活もありますし、テイクできるリスクの上限もあります。そのあたりも充分に計算した上で決断する。これは、企業の経営にも必要なことですし、自らの人生の進路を決定するうえでも肝要である、と思います。

ま、言うは易く、行うは難し、ではあるのでしょうが、、、