カント入門-補足2:空間と時間とヒトの意識

昨日に続き、「カント入門」読みの補足をいたします。

以前のブログで「プロレゴーメナ」を読みましたとき、カントの時空認識に問題があることを指摘いたしました。カントは、時間と空間を、実在のものとは異なる、ヒトの精神的機能内部にある概念であるといたします。

しかし、今日の宇宙論の教えるところでは、膨張する宇宙というのは、宇宙を含む空間それ自体が膨張しているのであり、空間もまたヒトの意識を離れた実在物である、と考えざるを得ません。このことを、「カントを読む」の本文後半でご説明いたしました。

しかし、では、空間とはなにか、時間とはなにか、ヒトはそれをどのように認識するものか、ということになりますと、なかなかに難しい概念を含んでおります。そこで、この部分につき、本日は解説することといたします。

まず、我々が生きておりますこの世界は、時間と、三次元空間の内部にあります。三次元の空間という意味は、互いに平行でない三つの方向を考えたとき、空間内の任意の点をこの三つの方向に一定量進んだ点として表すことができます。

つまり、この世界の任意の点は、自分が今いる場所から、前後、左右、上下にどの程度進んだ点であるか、ということと、現在から過去ないし未来にどの程度進んだ点であるか、という4つの量で、特定することが可能です。

古くは、時間と空間とは、全く異なる概念である、と考えられていたのですが、今日ではこの考え方は否定されております。

これは、どのような座標系からみても光速が一定である、という奇妙な現象が見出され、これを説明するものとしてローレンツ収縮とアインシュタインの特殊相対性理論が提案され、今日ではこれが正しいものと考えられております。この理論の元では、この世界は4次元の空間(4元時空)であるとされ、互いに速度を持つ座標系の間での座標変換は回転変換(ローレンツ変換)となります。

と、いいましても、なかなか理解に苦しむと思いますので、よりイメージの掴みやすいお話をいたしましょう。

まず、時間軸を横軸にとったグラフというものを我々は日常良く目にしております。たとえば株価のチャートなどは、株価が時間と共に、どのように変化しているかを表しております。

物体の運動は、横軸を時間軸として、縦軸に位置をとることで表すことができます。一定速度で運動している物体は、このグラフでは、斜めの直線で表されます。また、この直線の傾きが物体の速度となります。

ここで、移動している物体上に座標軸をとった場合どうなるかを考えてみましょう。時間軸とは、位置ゼロの点が通る軌跡ですので、これを静止している(元の)座標系からみますと、「物体の通りました斜めの直線」が「移動している物体上の時間軸」である、ということになります。

移動している物体上にとられた時間軸は、静止座標系の時間軸に対して傾いて(角度をもって)おりますので、このような座標変換は回転変換です。で、このような変換は、ガリレオも知っていたのですが、そのとき、他の軸は回転しないものとしておりました。しかし、これは今から考えるとおかしな話で、ガリレオ流の変換では、座標系の直交関係が崩れてしまいます。

もう一つの問題は、光速でして、光の軌跡もこのグラフ上に書くことができまして、その傾きは光速になります。しかし、移動座標系における光速と静止座標系における光速は、時間軸が回転している分、時間軸に対する傾きが異なるはずで、光速は座標系の移動速度に依存するはずです。しかし、どのような座標系で測定しても光速は一定であり、ガリレオ流の変換は正しくない、ということとなりました。

では、空間軸、つまり縦軸も一緒に回したらよいか、といえばそんなこともなく、こうしてもやはり、座標系の速度に応じて、光速が変化してしまいます。光速が変化しないようにするためには、時間を含む回転変換をローレンツ変換で行うことです。これは、時間に対する演算を、時間が虚数であるとして行った回転変換と同じこととなります。

まあ、時間は虚数的に振舞う、ということだけを覚えておけば、その他の部分は時間と空間に差はなく、この世界は4次元空間である、と考えて良いこととなります。自然界に虚数が現れるのはおかしい、と思われるかもしれませんが、時間と空間は明らかに異なりますので、これを虚数と実数の違いである、と考えれば納得できるかも知れません。

これは嫌、という方は、時間を含む回転はローレンツ変換に従う、と覚えておいてください。実際のところ、この二つの考え方で計算される結果には何の差も現れませんので、どちらを選んでも同じことではあります。

さて、この世界が4元時空である、ということを認めていただいたということを前提にお話を進めましょう。互いに移動している座標系の間では、時間軸は異なっております。どのように異なるかといいますと、時間軸とは4元速度のことなのですね。

まあ、こんなことをいうと混乱するかも知れませんが、静止しているヒトも、実は未来に向かって進んでおりまして、あえて言うならば時速1時間で未来に向かって進んでいます。で、この速度の感覚が、時間が経過した、という感覚であり、時間軸そのものであるわけです。

移動している座標系を見ますと、やはり空間的な速度の他に時速1時間という速度を含んでおりまして、ベクトルで表せば、静止座標系から見たとき(Vx, Vy, Vz, 1)になります、といいたいところなのですが、これを移動座標系からみたときは(0, 0, 0, 1)となりまして、絶対値(各要素を二乗して加えた値の平方根)が異なってしまいます。

ベクトルというものは、その長さ(絶対値)はどんな座標系からみても同じでなければいけませんので、移動している物体を静止座標系から見たときの速度を√(Vx^2 + Vy^2 + Vz^2 + 1)という補正係数で割り返してやる必要があります。で、この係数が相対性理論に現れるさまざまな奇妙な現象を惹き起こす、というわけです。

(注:上の議論では式を簡単にするため光速を1とおいています。また、Vxなどの時間を含む変数は虚数としております。厳密な式は、時刻tの代わりに s = ict で表される虚数時刻sを用いることで作り出すことができます。参照

さて、宇宙はどうなっているのかといいますと、円錐(ソフトクリームを載せるコーンの形:あ゛、コーンって、円錐って意味でしたね。トウモロコシだと思ってた人、手を上げて! それにしても、とんがりコーンのコーンはどっちでしょう、、、cone:円錐、corn:トウモロコシ。で、「とんがりCorn」ですかぁ。あれも円錐型をしているのだが、、、紛らわしいですねえ。)をイメージしていただくと判り易いかと思います。

この円錐の頂点がビッグバンでして、底面周囲の円環(ソフトクリームの載っているところ)が現在の宇宙、ということになります。時間が経過して頂点から離れるにしたがって、円錐を輪切りにした切断面周囲の円環(つまり宇宙空間)はどんどん大きくなっております。(円環は1次元ですが、実際の宇宙空間は3次元です。)

ヒトの意識は、時間の経過と共に、コーンの表面を頂点に近い側から底面へと向かっておりまして、時間軸はコーン上にあります自分のいる星の軌跡、ということになります。異なる星に知的生命体が存在すれば、そこでは異なる方向に時間軸を持っているのですね。

以前のブログで議論いたしましたように、この世界の物体はすべて時間軸方向に延びた形で存在しております。外力を受けない物体は真直ぐな棒状に時間方向に延びており、外力を受ける物体はそれに応じて曲がっておりまして、たとえば地球などは、時間軸方向に延びた棒状の太陽の周囲に、らせん状のばねのような形で時間軸方向に延びている、というわけです。シュールな世界ですね。

さて、4元時空は、既に時間を座標軸の一つとしておりますので、動きのない、凍った世界であるといえます。これが動いているように見えますのは、ヒトの意識が時間軸方向に時速1時間で移動しているからに他なりません。

喩えていうなら、4元時空の現象は、重ねたぱらぱらマンガのごとき存在であり、それ自体は凍った世界なのですが、これを次々とみせられているヒトの意識には動きが見える、というわけです。

で、そうなりますと、未来は実は確定している、ということもいえるのですが、そういってはいけない、という制約を自然学に課すべきでして、「科学は知りえないことを語り得ない」という制約を科学に加えるべし、というのが私の主張です。なにぶん未来のことはわかりませんので。

ヒトの人生は、いまだみぬ映画を観ているようなもので、結末がとうに決まっていようとも、瞬時瞬時の映像にはらはらどきどきしながら観るしかない、というわけです。かりにすべてが決まっていたとしても、ヒトは先のストーリーを知り得ない以上、未来が決定しているようには思えないのですね。

で、それが現実とは異なる、単なるヒトの思いに過ぎないのか、といえばそんなこともない、というのが私の主張でして、私の哲学のそもそもの出発点はマンガを読み込んだこと。このブログの一番の出だしにもあります「マンガはインクのシミである」という発見です。

結局のところ、物理学の理論は、世界の真実の一面のみを語るものであって、ヒトには他の論理も必要である、ということです。でなければ、マンガは単なるインクのシミである、という物理的事実を現実として認めるしかないのですが、私にはそんなことはできません。

同じことは、人間というこの存在(早い話、自分自身)にもいえることだし、精神、生命、自然界、すべてにいえることでして、そこにあるものは単なる物理的存在を超えた意味があり、価値がある、ということ。自然学は、ヒトの英知の到達した一つの高峰ではあるのですが、そのほかにも、高い山々は連なっている、というわけです。


虚数時間の物理学、まとめはこちらです。