雨の歩道でみつけたもの

昨日は全国的に雨模様の一日でしたが、濡れた歩道を歩いていて、ふと気づきました。濡れたアスファルトのところどころに、油でもこぼしたのでしょうか、虹色のリングが見えるのですね。

先週のこのブログで、ファインマンの「光と物質のふしぎな理論」などを読み、光の回折現象について考えたりしたものですから、ちょっと興味を惹かれてこのリングを眺めていたのですが、これ、水面に浮かんだ油膜の回折現象とは別物なのですね。

と、いいますのは、水面に浮かんだ薄い油膜も、確かに光を反射して、七色の縞模様を生じるのですが、その縞模様は通常は複雑な形をしておりまして、水面が風に揺られると縞模様もゆらゆらと動いて見えます。

これに対して、濡れたアスファルトに付着した油膜の作る縞模様は、動きのない、完全な同心円状なのですね。

まあ、下がアスファルトですから、動かないのはあたりまえ、ともいえるでしょう。しかし、どれもこれも判で押したように、同じ模様の同心円状になるというのは、水面に浮かんだ薄い油膜が見せる縞模様とはずいぶんと異なります。

で、最初に思いましたのは、この模様は虹と良く似ている、ということです。虹は同心円状のリングの形に七色の縞模様を生じますからね。

しかし、虹があのような形に太陽光の成分を分けるのは、デカルトやニュートンといった哲人が解明したように、球形をした水滴内部での光の屈折によって生じる現象でして、濡れたアスファルトに付着した油膜がこのような規則正しい形状をしているなどということは期待すべくもありません。

そこでいろいろと考えているうちに思い当たりました。このようなランダムな方向を向いた面での回折現象は、実はX線回折の分野では古くから知られております。つまり「粉末X線回折」と同じなのですね。

X線は光と同じ電磁波の波長を短くしたもので、物質の結晶を構成しております原子の間隔(格子間隔)と同程度の波長を持つため、規則的に並んだ原子で散乱されたX線は回折パターンを生じます。単結晶にX線をあてて回折パターンを観察すれば、どのような格子により回折が生じているかを推定することができ、結晶の構造、つまり結晶内部での原子の配列状態を推測することができるのですね。

単結晶X線回折装置も今日広く使用されておりますが、より多くの分野で使用されているのが粉末X線回折装置と呼ばれるものでして、粉末のX線回折パターンを観察する装置です。なにぶん、工業プロセスや自然界から得られましたサンプルは、単結晶であることはまずありません。たいていのサンプルは、粉末状で、結晶の方向もばらばらなのですね。

しかし、このような粉末を固めてX線をあてますと、やはり回折パターンが観測されます。このときのパターンは同心円状です。そして、どのような結晶がどのような回折パターンになるかというデータが蓄積されておりますので、これと比較することでこの粉末にはどのような結晶がどの程度含有されているか、ということを知ることができます。

で、濡れたアスファルトに付着した油膜のつくる同心円状の虹模様も、これと同じ原理に基づくのではなかろうか、などと考えた次第。いろいろと考えておりますと、雨の日もなかなか愉快ではあります。

さて、先週のブログで、私は、以下のような記述をいたしました。

第2回の講演では、まず、光の反射を取り上げます。普通の理解では、反射光は入射角と反射角が等しい、ただ一つの経路を通る、というものですが、ファインマンは、実は光は鏡のあらゆる場所で反射してくるのだ、と説明します。で、入射角と反射角が異なる部分では、矢印の向きが変化しているためほとんど打ち消しあう、というのですね。

これが量子力学の量子力学らしいところでして、打ち消しあっているならそこでの反射はないということではないか、などといいたくもなるのですが、ここはおとなしくお話を聞くことといたしましょう。

鏡の一部を取り除き、打ち消しあいをしないようにいたしますと、入射角と反射角の異なる部分での反射も見られるようになります。これが回折格子と呼ばれるものです。なるほど、確かにファインマンの言うことにも一理ありますね。

同様の原理で、屈折やレンズの作用、あるいは光が直進する理由を説明いたします。

いろいろな経路を通った光の強さは、矢印を足し合わせることで求まるのですが、何回も反射した場合など、一つの経路にいくつかの過程が含まれる場合、矢印の掛け算が行われます。この計算は、矢印の長さを掛け合わせ、矢印の向き(角度)を足し合わせることで行われます。

でもこれは、よく考えてみますと、量子力学の特徴でもなんでもないのですね。実はこれは、ホイヘンスの原理そのものです。この原理、光は全ての点で全ての方向に進む(球面波となる)というものでして、周囲の波との干渉により、光は直進するようにみえるし、干渉や屈折の現象が生じる、というのですね。これは、上記のファインマンが量子力学の手柄のように話しました内容と全く異なるものではありません。

古典理論も馬鹿にしたものではないのでして、ホイヘンスの原理の弱点でありました「光はなぜ後に進まないのか」という問題は、後にキルヒホッフがヘルムホルツ方程式に基づいて方位係数(インクリネーションファクタ:1+cosθ)を導入し、光は前方のみに進むことを明らかにしました。さらに、ゾンマーフェルトは、電磁波と材料内の電子との電磁相互作用により回折現象が生じることも明らかにしているのですね。

どうもファインマン大先生、我田引水的要素もおありのようで、書かれたことを100%信じたりはしないほうが良いような感じもいたします。

それはともあれ、量子力学と古典論の決定的な違いは「光量子」という概念でして、広がってゆく電磁波は、古典理論では均一に広がり、それぞれの部分の電磁界の強度はいくらでも弱くなるのに対し、現実にはそうはならず、量子力学の教えるように、一定の強度を持つ光の粒が、相互の間隔を広げていく形をとります。

光子に限らず、この世のあらゆるものが粒子と波動の二面性を持つという点が量子力学の最大のポイントではなかろうか、と私は思います。だって「量子」力学、ですからね。ド・ブロイの提唱したこの原理は、波動の不確定性から、不確定性原理も支持いたします。

もちろん、古典物理学におけます波動の扱いは、物質波には及んでいませんでしたので、素粒子のパス同士の干渉などという概念は古典物理学には現れておりません。そういう意味では、干渉という現象は量子力学の根底をなしているのですが、これはあくまで物質が波動的性質を持つからそうなるのであって、干渉という現象自体は古くから知られていたものであったのですね。


さて、本日は珍しくスペースを残しておりましたので、あとで少々書き足そうか、などと考えながら、昨日とは打って変わった好天をこれ幸い、食事がてら外出したのですが、本屋に入ってしまいました。

まずは、長尾龍一著「法哲学入門」でして、こちらは一気に読んでしまいましたが面白い本です。

著者の長尾氏、大学で法哲学の教授をされているのですが、まず大学教授というものがいかに暇なものであるのかを説明し、「法哲学」という学問がいかにいい加減な、というと語弊があるかもしれませんが要は自由度の高い、学問分野であるのかを説明いたします。

で、法とはそもそもなんであるのか、それが有効に作用する理由はなんであるのかを書くのですが、この方、恐ろしいばかりの読書家とみえまして、古今東西の幅広い書物からの引用のオンパレードなのですね。

もちろん、法哲学がらみなのですが、ヴェーバーやマルクス、あるいはギリシャ・ローマの賢人達の書物は当然といたしましても、シャーロックホームズやら落語家やら太宰治やら、まあ、良くもこれだけ引っ張ってきたといいたくなる引用ぶり。

話も決して難しくはなく、お勧めの一冊ではあります。

もう一冊は、吉村武彦編著「古代史の基礎知識」です。縄文から平安時代を扱いました同書をなんで購入する気になったかといいますと、小熊英二著「単一民族神話の起源」などという書物の存在を知りまして、古代日本の歴史が少々気になったからです。

もちろん書店では小熊氏の書物も探しましたが、置いてはありません。

同書に関するネット情報の一押しは慶応SFCの資料。何しろ著者自らが「表現したいと思った内容を盛り込むのに必要だからこそ、数百ページの著作をなす。それを数ページで語るのは、ずいぶん苦しいものだ」などとこぼしながら内容をまとめたものです。そのあとにぞろぞろと付いております書評も大いに参考になろうというものです。最後についております「村上龍と風俗嬢の交換メール13th Round From村上龍to藤木りえ」というのは一体なんでしょうね。慶応SFCというところはずいぶんとさばけたところであるのやも知れません。

この書物、あるいは書評なり評判を、私は以前に目にしたことがあったはずです。何しろ、その内容をおぼろげに覚えておりましたので。内容につきましては、著者自身の次の文章が良くまとまっているように思います。

こんにちでは忘れられがちなことだが、戦前の日本は朝鮮・台湾などを含む多民族帝国であり、国定教科書にも「国民」の三割が非日系であることが明記されていた。しかも日本民族も、朝鮮系・アイヌ系・南方系などの混合民族とされ、日本と朝鮮は人種的・文化的類似点が多いばかりか、天皇家にも朝鮮系の血統が流入していると強調しつつ、だからこそ朝鮮・台湾は日本に融合同化できると主張されていたのである。列島には古代いらい純粋な日本民族だけがいたとか、日本には日本民族しかいないといった論調は、論壇上でみるかぎり、朝鮮・台湾を喪失した戦後になって定着したものなのだ。

そして、単一民族説はむしろ「大東亜共栄圏を日本帝国主義の異民族支配である」とする左翼側のプロパガンダによって形成されたとしております。そういたしますと、今日単一民族説を主張いたします右よりの人々は、実は左翼に洗脳されてしまった人達である、ということにもなりそうですが、どうでしょうか。少なくとも、単一民族説は、戦前の大東亜共栄圏を否定する考え方ではあるのですね。

スペースがなくなりました。続きまた日を改めて、といたします。

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