「晴れた日にはGMが見える」を読む

米国自動車ビッグ3救済をめぐる動きはいよいよ土壇場に来ておりますが、そんな中で少々古い書物であります、J・パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」を改めて読んでみることといたしました。

0 この本が書かれた背景

同書はGMの副社長まで務め次期社長候補と目されながら突然辞任したジョン・Z・デロリアンに対するインタビューを元に書かれた書物であり、GMの経営の内部をうかがい知るための貴重な資料となっております。

ちなみに、「デロリアン」は、あのバック・トゥ・ザ・フューチャーに登場いたします自動車の名前でして、デロリアンはGM退社後、英国政府の援助の元に自ら自動車会社を設立して、スーパーカー「デロリアン」を製造いたします。これがこの映画のモデルになっております。

同書のそもそもの成り立ちは、1974年にデロリアンが著者に共同執筆を持ちかけたとされているのですが、その後デロリアンが出版に消極的となったため、1979年にパトリック・ライト単独の著作として出版されております。わが国では1980年にハードカバーが、1986年には新潮文庫版が出ておりますが、双方とも現在は絶版中となっております。このような背景がありますので、以下では、同書の内容紹介の比重を少々高めておくことといたします。

GMはもちろん世界的な乗用車の巨大メーカーであり、ガリバー的な存在でした。しかし、米国では1970年にマスキー法が制定され、その後年を追うごとに自動車排気ガスに対する規制が強化されます。1973年に第1次の、1978年には第2次のオイルショックが勃発いたします。GMはこれらの変化に対応できず、今日の危機的状況に至っております。

同書が書かれた時期は、GMを取り巻く環境変化がまさに起こりつつある時期であり、この変化に何ゆえにGMが対応できなかったかというその疑問に対する回答がこの本の中にある、ということもできるでしょう。

さて、前置きはこのくらいにいたしまして、同書の内容をご紹介することといたしましょう。同書はエピローグを含めて16章仕立てで、その表題と内容は次のようになっております。また、本エントリーの0章と17章以降は、私の追記です。

1 GMを去る日

この章で、何故にデロリアンがGMを去ることになったかといういきさつが述べられております。一言で言えば、他の経営陣との人間関係に齟齬を生じたからであり、その原因はデロリアンがGMの経営のあり方に疑問を感じたからとしております。デロリアン氏が感じた問題点は以下のとおりです。

技術開発の停滞1949年のオートマチック・トランスミッションとパワーステアリング以来、自動車業界でこれといった製品革新が行われていないことを懸念いたします。

道徳性の問題:自社の利益以外に関心が払われず、安全性の問題などを社内で口にしても封殺されてしまいます。

マネージメント上の問題:意思決定の権限が現場から本社トップの一握りの人たちに集中し、必要な処置を迅速にとることができなくなります。またトップに昇進するのは、当人の技能よりも忠誠心でした。

これらの疑問を抱くデロリアンに対し、他の経営陣は徐々に排除の方向に動くようになります。少なくとも、デロリアンの言い分としてはそういう背景の元にGMを辞任することとなりました。

2 「14階」

GM本社の14階には重役室があり、忠誠の対象とされております。しかしそこでは無駄な議論に時間を費やし、重要な決断が適切になされてはおりません。

3 忠誠心、チームプレイ、システム

GMで昇進するには業績や実力よりも忠誠心が要求されます。同書の言葉を借りれば以下のようになります。

風采、スタイル、個性がGMの型と合致していれば、かなり「忠誠な」従業員になりかかっている。が、「忠誠」はそれ以上のものを要求する。それはしばしば、上司への忠義立て、現実の場での盲従を要求する。GMの従業員は、職場でビジネスを学ぶのと並行して忠誠を学ぶ。忠誠は公けの論理になる。それは、チームプレーの一環である。例えばピート・エステスは、「上司への忠義立て」の要を再々、力説したし、それを要求したし、それを得た。

もちろんその結果GM社内ではゴマすりが横行し、それをうまくできる人間が出世するようになります。

4 道徳的な人々の非道徳的な決定

コルベアの安全性の問題は設計当初から社内で指摘されておりましたが、これが安上がりであることから、発売が強行されます。その結果、多数の死亡事故を引き起こすこととなります。この問題は、ラルフ・ネーダーに指摘され、社会的な大問題となります。同様な問題はシボレーでも発生いたします。

倫理上の問題は、経営陣に対して批判的な人への扱いや、納入業者いじめ、スパイ活動、政治献金などなどGMのさまざまな箇所でも生じておりました。

5 自動車人生のスタート

この章からは、デロリアンのGM社内での経歴が語られます。この過程で、交際費をめぐるいんちき(豪華なパーティーに交際費承認権限者を呼んでしまう、部下や納入業者に付け替えてしまうなど)をデロリアンは幾度となく目にいたします。

ここに面白い一節がありますので、引用しておきましょう。

例えば、特定年度の会長の交際費は5,000ドルに過ぎなくとも、彼の実際の支出額は、会社の飛行機の利用を含めてその何十倍、何百倍にも達した。事業部ゼネラル・マネージャーの支出総額もそれと同程度になりかねなかったし、配下の広報部長の支出額は上役のゼネラル・マネージャーの付けの支払いのため驚くほど増加した。二人の経営担当者が会社の飛行機でニューヨークに出張すると、会社の出費はかなりの額に上った―一般の航空路線を利用すれば、二人合わせても300ドル足らずだったというのに。

GMの社用機利用が恐ろしく費用のかかるものだということに関しては、30年近く前からこんな批判が出ていたのですね。それをこの期に及んでやっと社用機を廃止するなどといっているのは、まったくどうかしております。

6 ポンティアックの復活

廃止の危機にありましたポンティアック事業建て直しのため、シーモン・E・クヌードセンがゼネラルマネージャーに就任いたします。彼は、デロリアンを雇い入れるとともに、当時のGMが軽視しておりました市場調査を実施いたします。

ポンティアックに対して、ユーザは明瞭なイメージを持っておりません。「これは有利な状況である、新しい車を生産する前に在来の悪いイメージを一掃するというやっかいな仕事をせずとも済むからだ」とデロリアンは考えます。

また、市場占有率が低いことは、「広範なアメリカ消費者への訴求力(アピール)を通じて成長をはかるには及ばなかった。そうではなくて、市場の中に生態的な適所(エコロジカル・ニッチェ)を見つけ、そこを開発すればよかった。大胆になり革新的になって、一か八か市場内のこれは、と思うところに進出すればよかった」と、こちらもチャンスであると考えます。

こうして、ポンティアックは若者市場に焦点を絞り、ごてごてした装飾を省き、軽量化を図り、性能と操作性を向上します。また、カーレースで次々と勝利を収めます。

ポンティアック事業は、車輪間隔を広げた「ワイドトラック」やエンジン、サスペンション、バンパーなど数々の技術的改良も行い、急激に業績を改善し、フォード、シボレーに次ぐ業界第3位の地位を確保いたします。

7 シボレーの大問題

デロリアンは、手に負えない状況となっていたシボレーのジェネラルマネージャーに任命されます。デロリアンは、工場の技術者や主だったディーラーとの会合を続け、シボレー事業部の抱える問題点を調査いたします。そして再建策を立案するのですが、これがトップの示唆したものと異なるため、トップの反感を買うこととなります。

8 シボレーの大転換

経営陣の反対を押さえて、デロリアンはシボレー事業部の改革を開始いたします。その結果シボレー事業は急速に改善いたします。

9 シボレーの革新

この章ではシボレーのマーケティング戦略の改善について紹介いたします。米国におけるシボレーの圧倒的な存在感から、シボレー=アメリカ・キャンペーンを行います。

オイルショックにより、コンパクトカーの売れ行きが増加したとされておりますが、実際にはその数年前からコンパクトカーの売れ行きが増加していることはデータに現れておりました。この動きに乗り遅れたことの反省から、マーケット動向を分析してまた売れ行きを予測するシステムを開発し、これに基づき戦略を策定し、生産計画を立てるようにいたします。

10 戦略車ベガ

1968年10月、GMは戦略的サブコンパクトカー「ベガ」を発表します。ベガは、これまで事業部が設計してきたのとはまったく異なり、本社が設計した車ですが、技術的な問題を多く抱えており、出来上がった製品は当初計画を重量でもコストでも大幅に上回る元となります。

コストの問題と品質問題によりベガの事業は失敗に終わります。また、工場を本社の管理下に移すとの決定が組合の反発を招き労働争議が勃発いたします。

11 ストライキの急襲

UAW(全米自動車労組)トップの交代によりGMがターゲットとなり67日に及ぶストライキが行われます。この結果、米国のGDPは5%低下し、米国の景気回復を半年遅らせる結果となります。シボレー事業部の回復は2年遅れ、ベガは出だしでつまずくこととなります。

12 棚上げされた小型車計画

1960年代の後半、米国の自動車メーカが利益率の高い大型車に注力する一方で、1965年以降の消費者の選好は燃費の良い軽量小型自動車に移行しております。この結果、輸入車のシェアが急速に拡大することとなります。

このような市場の変化はGM内部でも認識されており、デロリアンは何度か小型車の開発計画を立てますが、本社には棚上げにされてしまいます。

13 GM―その実質と形式

この章ではGMの経営に関する歴史が語られます。デュラントの起こしたGMは急成長いたしますが、1920年に始まる不況で危機に瀕します。デュラント退任の後を引き継いだデュポンはスローンの『組織研究』に基づくマネージメントに移行いたします。

このマネージメントは、事業部への権限委譲とGM全体としての成長を担う中央統制という、あい矛盾する二つの要素を調整することにあります。この調整に当たったのが、政策委員会、管理委員会およびこれらの下部組織としての諸委員会です。

しかし、デュポン、スローンの後を引き継いで現業の経験に乏しいカーティスが社長に就任すると、このシステムは変貌をとげ、財務に重点を置く経営へと移行してまいります。

14 職業人としての最大の過ち

この章では、幹部に登用されたデロリアンが、GMの体質を変えることができなかったことを反省しております。

15 GMの衰退

現業を知らず、財務のみに注目する会長に権限が集中した結果、コストダウンにのみ目が向かい長期的視野を欠く決断がなされ、外部の批判にも耳を貸さない体質となってまいります。

16 エピローグ―産業ステーツマンシップ

最後にデロリアンはGMの合衆国内での位置づけを再確認し、スローンの基本原理に立ち返るよう提言をいたします。当然のことながら、GMがこの提言を聞き入れることはなく、GMは衰退の道をひた走り続けた、というのが実情ではありました。

17 その後のデロリアン

以上が同書の内容(に私の意見をいくつか付けたもの)ですが、その後のデロリアンが気になる方のために1982年2月20日付日本経済新聞の記事をご紹介しておきましょう。

スーパーカーのデロリアン社行き詰る
英政権にまた痛手
ベルファスト大量失業出す恐れ

【ロンドン19日=田尻特派員】米GMの元重役デロリアン氏が3年半前、英国政府の財政支援を受けて創立した高級スポーツカーメーカー、デロリアン社(本社工場ベルファスト)の経営が19日完全に行き詰まり、プライアー北アイルランド担当相は同日、再建のための管財人2人を指名し、生産継続のための新会社設立について英金融界と緊急協議に入った。

同社は年産約7,000台で、従業員2,600人、部品など関連産業に1万人がたずさわっているだけに、同社の倒産は失業増とテロ活動に悩むベルファストに大きな打撃を与える恐れがある。しかし英政府はすでに8,400万ポンドに上る財政資金を同社につぎ込んでおり、これ以上の資金投入は無理な状況で、サッチャー政権は英民間銀行から債権資金をどこまで引き出せるか、極めて苦しい立場に追い込まれている。
……
ステンレス製、ドアが上方に開く二人乗りのスーパーカーは、1台25,000ドルですべて米国市場に輸出されていた。昨年までの生産総数は7,682台と当初計画を大きく下回っているが、昨年秋からようやく年産7,000台ペースに達していた。だが、米国のディーラーに引き渡された車は4,750台にすぎず、このうち実際に売れた車は2,085台にとどまっている。

というわけです。その後の変遷につきましてはWikipediaをご覧ください。趣味人むけには評価が高いようです。

18 なぜGMは衰退したか

さて、同書に関しましてもっとも興味深い点は、GMの経営のどこがまずくて、どうすればよいか、という点でして、そのかなりの部分が書かれておりますことが、同書の今日的な価値を高めているように私には思われます。

一つの問題点は、財務至上主義ともいうべきあり方がGMの衰退を招いた、といえるでしょう。自動車産業を成り立たせているのは、自動車そのものの設計技術であり、大量生産技術であり、これを販売するマーケティングとディーラー網なのですが、これらの細部に目を配ることなく、財務に関連する部分(コストダウンや売り上げ)のみに目を奪われてしまった、というのが直接的な問題です。

会社経営に財務が重要であることは論を待ちませんが、それだけでは企業は成り立ちません。企業組織を考える際は、さまざまな専門分野に長けた人の集団として経営陣を構成する必要がありますし、最高責任者は各専門家の主張に一定の判断が下せる人でなければなりません。

トップは、セールスの現場も知らなくてはならないし、技術開発もわからなければいけないし、生産工場の実情も知らなくてはいけない、ということになりますと、幹部候補生はこれらの異分野の経験をある程度つんでおかなくてはなりません。

もちろん、それぞれの分野でトップレベルの実力を持つ必要はないのですが、何をいっているのかがわからなければならないし、最低限その主張の妥当性が判断できなければトップは務まりません。

それにもかかわらずGMが何故に財務偏重型の経営陣になってしまったかといえば、ゴマすり型のイエスマンを重用するという、無能経営のサイクルに陥ってしまったためではなかろうか、と私には思われます。

無能な人物が責任ある立場を得た場合、往々にして自らが無能であることを認識しており、これを指摘されて自らの地位が危うくなることを本能的に恐れるものです。

この結果、自分によくわからない分野の専門家はなるべく遠ざけようとしますし、議論は自らの専門領域に限定しようと考えます。さらには、周囲を同じような専門家で固めてしまいますと、見方が一面的になってしまうという問題も生じます。

企業がひとたびこのような状況に陥りますと、ここからの脱却は極めて困難になります。無能なトップは有能な人物を遠ざける結果、次の世代も無能な人物がトップを引き継ぐことになります。この状況が打破されるのは、企業が存続の危機に瀕したときであり、これをトップが(さすがの無能なトップであっても)明確に認識したときです。

今日のGMはまさにそのような時を迎えているわけで、ここで有能なトップに入れ替えることができれば、恐ろしく強力な企業に生まれ変わることだってありえないことではないのですね。

19 そしてデロリアンも

さて、以上はデロリアンの主張を受け入れてのものですが、それではデロリアンが優れた自動車会社の経営者であるかといえば、これはこれで相当に疑問があるように思われます。何しろ、会社をつぶしてしまっておりますから。

結局のところ、デロリアンの自動車に対する情熱はみるべきものがあるのですが、企業経営には財務も必要であり、企業が成り立つように、販売数量も確保できなければなりません。

自動車自体の魅力の追求というコンセプトも悪くはないのですが、そうであるなら好事家に対象を絞り、生産ラインへの投資を極力抑えた手仕事で生産しなければならないと思います。つまりは、年産7,000台などというラインは、この手の自動車のラインとしては過大な投資であったように思われるわけです。

デロリアンのGM評は、おそらくは的を得ているのでしょう。しかし、彼は彼が批判した人と同じ過ちを犯してしまったのではないだろうか、というのが私の感想であり、結局のところ、企業というものは、技術も必要なら販売も必要であり、それに加えて財務の基盤もしっかりとみていかなければならない、ということであるように思われます。

技術だけで突っ走る、というのは、それはそれで一つの美学ではあるのですが、現実世界でビジネスを展開しようと考えるなら、このようなやり方は滅びの美学と紙一重、というわけです。