遙洋子著「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」

本日は、遙洋子著「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」を読むことといたしましょう。

著者の遙洋子氏は、いわゆるタレントで、大阪でお笑い芸人を相手にする日常を送っております。そんな彼女がフェミニズムの第一人者で東大教授の上野千鶴子氏のゼミに参加した顛末を記したのがこの本です。

東大ゼミに集まる人たちと、お笑い芸人やテレビ局の人たち(著者本来の文化圏)との落差があまりにも大きいこと、上野千鶴子氏の学問・教育に対する姿勢が極めて厳しいこと、この両極端の間に立たされた著者のとまどいが同書の中心をなすのですが、フェミニズムや論争術に対する言及もなかなかに面白い点です。

その中でも特に面白いのが80ページからの文章です。ゼミの学生たちがホームパーティーを開くのですが、いきなりミサ曲のCDがかかります。次に著者が松田聖子を歌い、次いで学生が映画「Looking for Fumiko―女たちの自分探し」の主題歌を歌います。

この後の記述がなかなか面白い。以下に一部を引用いたします。(段落と句読点を改めております。)

歌は大学闘争時のものだった。寂しい歌だ。直後、「なんで、そんな歌うたうの」と上野教授が責めた。その責めが、松田聖子の歌に来ず、その歌に来る理由がわからなかった。私が一番責めたかったのは、最初のバッハだ。

ベランダで、みなが座りきれず、地べたにしゃがんでいると、「学生時代を思い出すわ」と、上野教授が言った。「私も。部活の帰り、コンビニの前でこうやって座って、いつまでもしゃべりました」というと、「私は学生運動の集会のとき。こうやって、座って、いつまでもしゃべったわ。時代の差ね」といわれた。学生運動してたんだ。

初めて東大に行った時、上野教授が最初に説明してくれたのが、石の校舎に似合わない、鉄でできた扉だった。「これはね、大学紛争の名残なのよ」「ふーん」

重い鉄の扉を開けて外にでると、左手に、やたらくすんでいる安田講堂が、見える。一回、燃えたのかなあ? と漠然と思っていた、そんなくすみ方だった。

「日本でリブが産声を上げたのは1970年、安田講堂の攻防が敗北に終わったあとのことである。大学闘争が解体し新左翼が末期に向かったときに、日常性のただなかを「戦場」として、リブは誕生した。(「連合赤軍とフェミニズム」)」と上野は書く。
……
上野は連合赤軍事件のことをこうふりかえる。「わたしを含む全共闘世代のひとびとにとって、見たくない過去、できれば忘れてしまいたい歴史の汚点(同前)」

その時代に青春を迎えた当事者の実感は、世代の違うわたしからはうかがい知れないものがある。しかし大塚栄志は上野をこう評価する。

永田洋子の手記にちらつき、彼女自身がうまく言語化できないでいる男性支配的な価値への生理的な違和は、'80年代に上野千鶴子らによってフェミニズムと名付けられ(「永田洋子と消費文化」)

「汚点」は、その形をまったく変えて、フェミニズムへとつながっている。
……
パーティには出会いがある。私は、そこでフェミニズムの変遷と出会った。次の日,東大の校舎の鉄の扉を押し開ける時、「これかあ、こいつかあ」と思った。鉄の扉が必要なほど激しい対立ってなんだったんだ?

わたしは学生たちと安田講堂前の広場で地面に腰をおろして短いランチタイムをとった。近くのコンビニで買ったラザニアとリゾットをチンしてもらい、ビタミン入りミネラルウォーターを飲んだ。

30年前の学生たちはここでいったい、何を食べて、何を飲み、何と戦ったのだろう。太陽の光を浴びながらも、なおくすんだ安田講堂を見上げ、当時の若者の怒涛の声に耳をかたむけてみた。

ずいぶんと長い引用になってしまいました。引用が長くなるので一部省略したのですが、省略した箇所は田中美津にかかわるエピソードです。

映画“Looking for Fumiko”はリブの闘士でありました田中美津の行動を扱ったドキュメンタリーだったのですが、いま彼女は、人気ファッション誌にも登場するような鍼灸師をしており、著者に近い世界にいる、と。

これはこれでゴシップ的に面白い話ではありますが、大学闘争からフェミニズムへの流れとは、直接の関係はございません。だから、上の引用に際しては省略させていただいた次第です。

さて、著者の疑問であります「なにと戦ったのだろう」への答えは、このブログを古くから愛読されている方にはある程度推察できるでしょう。

もちろんこれはわたしの理解に過ぎないのですが、以前のブログに書きましたように、「管理に対する闘争」だったのですね。

その後の短い歴史の流れ、今現在にいたる政治・社会情勢の変化を考えるとき、この時点で反管理の運動が沸き起こり、そして敗北したことは、大きな意味を持っているものと思われます。

そもそも「管理」とは「人のモノ化」であり、大学にまでその流れが及んだことが学生闘争の出発点であった、とわたしは理解しております。そして、これに学生たちが敗れたことが、人のモノ化の蔓延を招き、今日の製造派遣、派遣切りにまでつながっているように、わたしには思われるのですね。

学生運動は、左翼運動ではありました。しかし、ソ連や共産党(その配下の民青同盟)とは距離を置いておりました。マルクスのいう疎外は、資本主義という社会システムが人をその「類性」から疎外する(経済学・哲学草稿)ことであり、ソ連型の共産主義が作り出した社会システムもまた人を疎外していることに気付いておりました。

マルクスがいう「類性」とは、人が本来持っている性質であり、言葉や論理性のほかに、倫理、感性といった要素を含んでおります。後者はヴィトゲンシュタインによれば論理世界の外部にあり、「主体」によって論理と分け隔てられております(以前のブログ参照)。

カントの「定言命法」も、論理を伴う「仮言命法」とは別の、論理では説明できない規則を人に与えるものであり、人にはその双方が本来的に備わっております。しかしながら、今日の英米思想の根底にありますプラグマティズムは、カントの思想から定言命法を切り捨てることで成り立っており、論理のみ、知性のみに立脚した思想であるといえます(過去の記事参照)。

プラグマティズムが現代世界の隅々にまで行き渡ったことで、効率至上主義が蔓延し、人間が本来的に持つ感性的な部分が切り捨てられる。これが今日の人間社会を精神的に病んだものとしているのではなかろうか、と私には思われます。

このプラグマティズムの思想の一環として、管理の徹底があり、これに反発する形で70年の学生運動の高まりがあったのではないか、というのが、この40年ほどの短い歴史に対するわたしの認識であるわけです。

人間は論理のみで生きるものではありません。以前のこのブログでご紹介いたしました「心の脳科学」によりますと、倫理と論理には脳の異なる領域が使用されております。ロゴス(論理)と同様にパドス(感情)も併せ持つのが人間であるという事実は、自然科学からも明らかになりつつあります。

以前のブログで議論いたしました、「トリアージ」を論じる際になぜ素朴な感情を無視してはならないか、という点も実はこの点に絡むものでして、論理性のみを追求すると人はとことん残虐になれる、これが歴史の悲劇を招いてきた、という視点もまた重要であると私は思うわけです。

フェミニズムの闘士、上野千鶴子は言葉を武器とするのですが、フェミニズムもまた基本は反管理、人間本来ある姿を取り戻すことにあるはずで、であれば論理以外の部分、言葉では語りつくせない部分もまた重要です。この点が、知性・言語の世界に縛られております学問にとりましては、非常に困難な状況を生じる一つの要因ではなかろうか、とも思う次第です。

なお、資本主義は、人間が本来的に持つ性質に近いところにあります、市場経済に立脚しております。従いまして、非人間的な部分、たとえば金勘定だけを追及する「管理」ではうまくいかないことに経営学者も気付いております。

これが1980年代のMBA教育の転換を招いたわけで、その後は企業の存在理由であります「バリュー」だとか「顧客満足度」、更には「従業員満足度」といった感性的要素が重視されるようになっております。非人間的印象を与えます「管理」という言葉も、「経営」という言葉に置き換えられてまいりました。

もちろん、MBAが幅をきかす米国でも、指導的立場にある人たちが全て考え方を変えているわけではありません。たとえば、GMのワゴナー氏は1977年のハーバード出ですから、古い経営学しか知らず、財務中心で走ってしまったところで何の不思議もありません。これが新しい教育を受けております、より若い世代に代替わりいたしますと、少々強敵となるかもしれないと、個人的には戦々恐々としておる次第です。

翻りましてわが国はいったいどうなっているのでしょうか。1980年代の経営学の転換に際しては目標とすべきお手本にも祭り上げられておりましたわが国が、ここ10年ほどは70年代の米国が理想としたあり方を目指すかのごとき動きをしております。このようなやり方は、とうに破綻しているのですが、いったい何を考えてのことなのでしょうね。

どうもどこかに、大いなる勘違いが存在しているとしか思われないのですが、、、