日本の経済政策はいかにあるべきか

今朝方のブログで、日本のジャーナリズムの抱える問題に関する本をご紹介いたしましたが、その一冊「ジャーナリズム崩壊」の中で、著者の上杉氏はブログをお持ちであるということを書かれております。インターネットコミュニケーションはわたしのテーマの一つですから、早速上杉氏のブログ「東京脱力新聞2.0」をチェックすることといたしました。

ここでちょっと面白いのは、経済学者の池田信夫氏が「池田信夫 blog」の中で上杉氏を批判したことに対して上杉氏が反論していることです。

経済政策のあるべき姿に関しましては、わたしもこのブログの中で断片的に書いてきましたが、そのときそのときの力点の置き方が異なるために終始一貫しない印象を持たれたかもしれません。そこで、以下にわたしの考えを示しておきましょう。

なお、わたしは経営学修士をとっており、経済に関してまったくの素人というわけではないのですが、経済学を御専門とされる池田氏に比べれば経済学に関する知識は非常に小さいということをあらかじめお断りしておきます。

まず、上杉氏と池田氏の論争は、一律給付が評価に値する政策であるとする上杉氏に対し、池田氏はマクロ経済学の視点から、これに費やされた予算は将来税金で補填する必要があるためなんら効果がないと主張されていると理解いたします。

費用をかけて徴収した税金を費用をかけて配布する一律給付という政策は、極めて非効率な政策であり、これが天下の愚策であることは論を待ちません。しかし、これが現下の経済活性化に無意味であるか、といわれれば、国内市場にキャッシュが供給されることから経済を活性化させる一定の効果はあると考えられます。

国内市場に出回るキャッシュを効率的に増加させる手段は減税であり、今回の一律給付も当初は減税という形で実施されるはずでした。減税であれば、実施にあたっての事務手続きにかかわる費用はほとんど増加することがなく、もっとも効率的なキャッシュの供給政策となったはずです。

しかしながら、減税は税金を納めていない者に恩恵がないこと、失業者などの生活困窮者の問題が浮上したことから、この政策は方向を転換することになります。これが自民・公明連合政権の失着であったとわたしは考えております。

そもそも生活困窮者の保護であれば生活保護の制度を充実させればよかったはずです。しかしながらわが国の生活保護制度は、すべての資産を生活費につぎ込んで初めて受給できるものであり、再起不能状態となって始めて受給できるのが現状でしょう。

今日のワーキングプアの問題を解決するもっとも有効な政策は負の所得税を導入することであると思われます。この制度につきましては池田信夫 blogの中でも「これによって税制は劇的に簡素化され、厚生労働省を廃止すれば、きわめて効率的な福祉システムが可能になる」と、肯定的に述べられております(厚生労働省を廃止する、というのは極論だと思いますが)。

もちろん、世界にあまり例のない制度を導入することは(池田氏の書かれている厚生官僚の抵抗など)困難な政治課題を伴うと思いますが、〔効率的な行政機構+労働力の柔軟な供給〕を可能とする社会システムを導入する以外に、今日の困難を克服するすべはないのではなかろうかとわたしは思う次第です。

話を経済の活性化に戻しましょう。

経済には好不況の波があり、経済政策はこの波を平坦化する政策である、ということもできるでしょう。好景気を平坦化するというのはおかしな話であるように思われるかもしれませんが、好景気に伴うインフレを抑制するのは中央銀行の使命であり、その結果景気は抑制されることとなります。

通常時であれば金利政策によりこのコントロールは可能なのですが、現在では日米ともに政策金利はゼロに近く、残された手段は財政出動、すなわち国債を発行して市中に資金を供給することしかありません。

国債には建設国債と赤字国債があります。建設国債は、高速道路などの公共投資を目的とするもので、発生する債務に対して取得される資産がバランスすることが建前です。従って、その投資が経済的に引き合うのであれば、投資に伴って生み出されたお金を国債の償却に充てることができます。

赤字国債は、単に歳入不足を補うために発行されるもので、債務に対応する資産は生み出しません。赤字国債を発行すれば、いずれはこれを償還する必要があり、その時点で市中から税金を集める必要があります。

財政出動により供給された資金が将来において回収されないのであれば、長期間では財政出動の効果は差し引きゼロとなります。しかしながら短期的には市中にキャッシュが供給され、景気の谷を引き上げる効果が期待できます。

結局のところ、まったくの無駄遣いであろうと、国費を支出することは景気回復に何らかの効果がある、ということはいえます。資産を生み出さない国費の支出および同等の効果を有する施策を例示すると、次のようになります。

・減税や一律給付金
・経済的効果に乏しい公共投資
・行政の非効率な部分に投入される資金

もちろん、社会福祉や国民の安全にかかわる施策は、経済的効果の有無にかかわらず推進する必要があり、資産を生み出さないことがすなわち無駄遣いであることにはなりません。

さて、国債残高が膨らむ結果、将来において国債償却のために税金が投入されるであろうとの予想を国民も企業も持つこととなります。これは積極的な投資をためらわせ、市中に出回るキャッシュを抑制する効果を生みます(消費税増税議論もこれと同様の効果を与えるため、特に不況期には封印すべき議論です。)

従って、赤字国債の発行による財政出動は、綱渡り的政策であり、いつまでも続けるわけにはいきません。特にわが国の場合、国公債残高が一般会計予算の10年分にまで積み上がっており、その抑制が景気回復に並ぶ重大な政治課題であるということになります。

以上の背景の元に、わが国が打つべき施策を考えますと、次のようになるでしょう。

第一に、著しい不況期にあることを認識すれば、財政出動は避けられないこと。これは、すでに各国政府が取っている政策であり、わが国が一人ただ乗りを決め込むことは、国際協調の観点からもとりえません。

第二に、将来の国公債残高を圧縮するため、効率化すべきであること。このためには、公共投資をする際にはその経済効果を厳格に査定しなければいけません。また、行政機構の効率化と経費削減も急務です。

第三に、経済的に引き合う公共投資による供給資金が必要な財政出動の資金量を上回るなら、減税により資金供給をすべきであり、安易な公共投資には走るべきではありません。減税は、国費支出に対する経済効果は低いかもしれませんが、資金が国家から国民に移るだけであり、国全体ではなんらロスにはなりません。

結局のところ、公共投資に際しての経済効果の厳格査定と、行政の抜本的な効率化を政策柱とすべきであり、できることなら社会福祉は負の所得税に制度変更して減税の形に一本化することが好ましいといえるでしょう。

これらを並べますと、ほぼ小泉改革に近い方向が理想的であったように思われます。ただ、製造派遣の問題など、国民の痛みに対して鈍感な政治であったということもできます。

現在世界的に生じている問題は、単に経済的な問題にとどまらず、社会の根底にあります思想、すなわちプラグマティズムが問い直されているのではないか、とわたしは考えております。

以前のブログに書きましたように、プラグマティズムは人間本来が持っている性質のうち、知性・論理のみに立脚し、倫理・感性を切り捨てたところに成り立つ思想です。

倫理の欠如は法による規制で補うことができますが、完全ではありません。しかし社会を構成する自然人には、この双方が備わっており、何かおかしいという感情を抱かせているものとわたしは考えております。

この基本思想に対する疑問が、米国においてはブッシュからオバマへの奔流を作り出したのだし、わが国においては派遣切りへの批判の高まりであったのではなかろうか、とわたしは思います。

知は目標に至る道を与えるのですが、何が正しい目標であるかということは、知性・論理は与えてはくれません。目標を見失ったところにいるのが今の世界ではないか、小泉・竹中路線の誤りは、経済政策というよりは、さらに一層下にある思想的部分であったのではなかろうか、とわたしは考えている次第です。