猪熊建夫著「新聞・TVが消える日」を読む(#2)

前回に続き、猪熊建夫著「新聞・TVが消える日」を読みます。

第2章「『紙離れ』はどこまで進むか」では、今度は新聞の行く末が案じられます。ネットの先行した米国では、新聞社がつぎつぎと経営危機に陥っております。新聞社が検索サイトに記事を提供したことが裏目に出て、新聞を読まない人が増えております。

しかし「新聞社サイトでは広告を集められない」と著者は説くのですが、これには少々疑問があります。

すなわち、検索サイトがニュース以外にもさまざまなサービスを提供しているのに対し、同じようなニュースしか提供していない新聞社サイトに読者が集まるわけがありません。新聞社サイトに読者が集まり、その結果広告も集まるようになるには、新聞社サイトが独自の価値を提供することは必須でしょう。

新聞社サイトが提供できる独自の価値とは、本来のジャーナリズムの役割である、事件の背後に迫る解説記事や、検索サイトでは到底掲載しきれない膨大な情報量を提供することです。

前者に関して、同書には少々おかしな記述がみられます(p135)。それは次の部分です。

ニュースの発信元から情報を得て、それを「加工」して大衆に提供する仕事がジャーナリストとすれば、大衆に直接、情報を示すことができるネットの機能を発信元が上手に活用するようになれば、中間の情報処理業者であるプロのジャーナリストの役割は縮小する、ともいえる。

ここでいう「ニュースの発信元」とは何でしょうか。このあとに、産経新聞がネットで提供をはじめた「法廷ライブ中継」が人気を呼んでいることが書かれているのですが、これをみます限り、「発信元」とは新聞社であるように見受けられます。

確かに一次情報がネットから提供されれば、これを受け取った普通の人も、この情報を解析する、ジャーナリストの役割を果たすことが可能となり、「プロのジャーナリストの役割は縮小する」理由がないわけではありません。

しかし、普通の人と同程度の解析しかできないジャーナリストが「プロ」を自称するのがおかしな話なのであって、彼らが「プロのジャーナリスト」でありえたのは、単に一次情報を独占的に掴むことができたからというだけの理由に他なりません。

本当に力のあるプロのジャーナリストであれば、ネットにあふれる一次情報をうまく活用して、事件の背後に迫る解説を提供すればよいわけであって、それが普通の人々よりもすぐれた解説であるなら、ネットであろうと新聞・雑誌であろうと書籍であろうと、人々は喜んでこれを読むことでしょう。

真の「プロのジャーナリスト」であるなら、市井の人々が一次情報を得られるようになったからといって、何も心配する必要はないはずで、かえってこのような情報を解析する技術に人々は舌を巻くことだろうと、わたしなどは思ってしまいます。

もっとも、以前のこのブログでご紹介いたしました上杉氏が書きましたように、わが国の新聞記者は「ジャーナリスト」の役割を果たしておらず、一次情報を提供する「ワイヤーサービス」の役割にとどまっているのであれば、この心配は当然の心配であるといえるでしょう。

つまり、本来のジャーナリストが果たす役割を果たしていないにもかかわらず、自らがジャーナリストであると考えているのだとすれば、ネットに一時情報が流れることで、その化けの皮がはがれてしまいます。

しかしながら、仮にそうであったとしても、新聞社が「ワイヤーサービス」の役割を果たしていることは厳然たる事実なのであり、その役割に徹することでネットの時代にも新聞社は価値を提供し続けることが可能であり、広告収入を得ることもできるようにわたしには思われます。

これを可能とするには、検索サイトが提供できないような、大量の一次情報をすばやく流すことです。現在の新聞社のサイトには、容量の限られた新聞紙面に掲載される記事しか流されておりません。これでは、膨大な情報を瞬時に流せるネットの力を十分に活用しているとはいえません。

ネットの力を生かした魅力あるページを実現してこそ、読者が集まり、広告というビジネス機会も創出されます。こういった努力をせず、ただ、ネットでは商売にならないなどとぼやいていても、何も前には進みません。

新聞社がネットの力を生かしたニュースサイトを造るなら、大量の情報をすばやく提示することがまず第一であり、この膨大な情報から読者の求める情報を容易に探し出せるようなメカニズム(たとえば人、地域、組織などをキーとしたインデックス付けなど)を付け加えることでしょう。

記者の書いた原稿を、些細な記事も含めて、即時に掲載するようにすれば、新聞社のサイトも独自の価値を持つようになります。もちろん、この場合は誤った情報が掲載されることもあるでしょうから、常に、訂正することを考えておかなくてはなりません。そして、これらの事情を背景に、検索サイトに提供する記事を厳重なチェック済みの記事に限定することで、検索サイトとの差別化もできる、というわけです。

新聞社、テレビ局も、ネットを敵視しているだけでは視野が狭くなってしまいます。今日のネットの普及はもはや現実です。その中で社会に価値を提供する道を探るなら、ネットの普及した社会の中にあっても存在意義を保てるであろうし、企業も発展を続けられるのではなかろうか、というのが余計なお世話かもしれませんが、わたしの想いであるわけです。

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