企業理念「アレテーに即して」の背景

シグナル・プロセス・ロジック株式会社のホームページには、「企業理念」というタブがあり、これをクリックすると「アレテーに即して」というページが開きます。(2016.6.12追記:現在はこのページは消去されています)

アレテーにつきましてはこのページを参照していただくことといたしまして、本日は何故にこのような企業理念を掲げているのかという、その背景について簡単にご説明いたします。

最近、「コンプライアンス」という言葉が盛んに聞かれるようになりました。これは、従来の企業活動に法に触れる部分がいくつかあり、社会的に糾弾されるケースが相次いだことから、企業のサイドとして合法的な企業活動をしていこうという動きが盛んになったものです。

法に抵触する行為の例としては、食品などの製造年月日の偽装、建築物の耐震強度の偽装、各種検査データのねつ造、公共工事等での談合、偽装請負等などで、違法行為の企業活動の中に蔓延しておりましたことはそれ自体が問題であり、これが是正されることは大いに結構なことではあります。

しかし、一方でこれらの法を意識した経営が企業活動を委縮し、経済の後退につながってしまうという問題点が指摘されており、また一方では、倫理・道徳というものを考えるとき、単に法に触れない、マスコミなどに糾弾されないようにするだけでよいのか、という疑問が起こります。

倫理・道徳を概観するときに参考となるのが「コールバーグの道徳性発達理論」でして、この理論に対しては異説があり、絶対的に正しいと検証されたわけではないのですが、このような見方をすることで、倫理・道徳に関する考えをまとめることができます。

コールバーグのこの理論は、人はその成長段階により次の6つのレベルに従って道徳観を高めていくといたします。

段階1:悪いことをすると叱られるからしないという「懲罰志向」
段階2:良いことをするとほめられてうれしいという「快楽志向」、「利益志向」
段階3:周囲の人に良い人であると認められたいという「良い子志向」、「仲間志向」
段階4:法や社会秩序を重んじるという「権威志向」、「順法志向」
段階5:法を超えた公正さを重んじる「社会契約志向」、「公正志向」
段階6:普遍的な倫理・道徳を追求する「普遍志向」

さて、コンプライアンス活動は、一見段階4を目指しているようにも思われますが、その理由、動機が「法を犯すと社会的に糾弾されるから」であるとか、「法に従うことが企業利益につながる」ということであるといたしますと、実体は段階4に進んだのではなく、段階1か段階2に退化してしまっているとみなすこともできます。

本来、企業が目指すべきは、最低でも段階5の公正さであり、社会は企業に公正さを求めております。そして、その不公正が目に余るとき法が制定されてかかる行為が禁止されることになります。逆にいえば、企業活動が公正さを常に意識し、これを追求するならば、法律のこまごまとした条文はあまり意識する必要がなくなります。

通話料0円をうたう携帯電話が、実は限られた時間しか通話料がゼロにならないとか、高い金利をうたう銀行預金が、その金利は最初のひと月だけであるというようなことが細かい字で書いてありますと、消費者は細かい字に気付かずに不利な契約を結んでしまいます。

保険会社にしましても、最近では重要事項を契約者が確認することを要求しているのですが、実際に行われていることは「確認しました」というところに丸をつけさせればよし、といったやり方が多く、保険会社がはたして公正さを意識しているのかは甚だ疑問です。

企業の不公正なやり方は、確かに法には触れないかもしれませんが、顧客の信頼を失わせることとなり、必ずしも企業の利益にも直結しません。また、そのような企業の社員の心をむしばむ結果ともなるでしょう。最低限段階5の道徳観をしっかりと意識することが、企業と顧客の信頼感を構築し、社員のモラルも高めることになるのではないか、と思うわけです。

さて、法は言語化されたルールであり、論理、知性の世界に属します。しかし、公正さは言語を超えた部分があり、感覚的にしか語ることのできない部分を含んでいます。

プラグマティズム、ないし英米の中心的な考え方は、法と契約を重んじる、論理と知性に基づいて社会を割り切ろうという考え方であり、コールバーグの道徳の段階4で止まってしまう恐れが多分にあります。

しかし、ホームページの企業理念に書きましたように、カントにせよヴィトゲンシュタインにせよ、人には論理で割り切れない部分があり、これが倫理道徳の重要な部分であることに気付いておりました。そして、近年の脳科学はこの指摘が正しいことを証明しつつあります。

米国ではネオリベラリズムのブッシュ政権が終焉し、オバマ政権へと交代しております。また、リーマンショック以来の金融危機以降の米国の世論は、経営幹部の高額報酬や社用機の使用に批判を強めており、法と契約だけが企業を律するすべてではないという社会的コンセンサスを作りつつあるようにもみえます。

世界を律する新しい倫理・道徳概念がどちらに向かうかということに関しては、いまだその方向ははっきりとしてはおりません。しかし、その向うべき方向が、アリストテレスのアレテーを見直すことでみえてくるのではなかろうか、と考えてこの一文をしたためた次第です。

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