期待値でリスクを論じる愚かしさ-アゴラのヨハネス山城氏除名をめぐって

こちらの記事にありますように、アゴラはヨハネス山城氏をメンバーから削除しております。これに対してコメントをつけておいたのですが、先日ご報告いたしましたように、私のアゴラへのコメントはブロックされており誰にも読むことができません(FaceBookは読めるはずですが)。そこで、こちらにも同じ内容を掲載し、少々解説を付しておくことといたします。

以下が私のコメントです。

リスクを論じる際には、それが示現した際の損失と、それが示現する確率を個別に議論しなくてはならず、これをあわせた期待値を論じることはナンセンスです。

たとえば東南海地震であれば、想定される犠牲者数2万5千人と、50年以内に起こるだろうということをあわせて、年間500人の犠牲者が想定されるなどと論じているようなもの。

リスクをマネージする際は、あくまでそれが起こった場合の対処を考えなければいけません。そういう意味でおかしいのは辻氏の議論であって、山城氏の議論は、きわめてまともであるように私には思われます。

上の、地震のリスクにつきましては、年間500人なら交通事故の死者よりも一桁低く地震の心配などしなくても良いということになるのですが、そんなことはない、と皆さんが考えてくださることを前提に書いたのですが、ひょっとするとだから地震の心配などしなくて良いとする考えかたもあるかもしれません。

というよりも、もしかするとアゴラの人たちはそのように考えているのではなかろうか、などという心配を現在ではしております。つまり、地震の心配などしなくても良い、それと同様に、原発事故の心配もしなくて良い、と考えておられるのかもしれません。しかし、これはリスクに対する正しい対処とはいえません。

リスクとは、発生する確率はきわめて低いけれど、ひとたび発生した場合大きな損失をこうむる事象を意味します。たとえば、多くの人が火災保険に入っているのですが、火災は一生のうちに出会うこともなさそうな、きわめて低い確率であると考えられるのですが、ひとたび自宅が火災に遭遇すると人生計画に重大なダメージをこうむります。そこで、人々は火災保険に入るわけです。

ところが、これを期待値で計算いたしますと、確率が低いため非常に小さな損失となってしまいます(だから火災保険料もたいした額にはならないのですが。)しかしながら、この期待値の小ささは、火災というリスクを無視してよいかどうかという判定には使えないのはもちろんで、火災保険に入るかどうかの判断基準は、きわめて低い確率であるといえども、ひとたび火災が発生した場合の損失に自らが耐えられるか否かがベースとなります。

一般にリスクへの対処法として、(1)回避、(2)転嫁、(3)縮小、(4)テイクのいずれかが選択されます。

(1)の回避とは、危険なことを行わないこと。火災による損失のリスクを回避するためには自宅など持たないことです。(2)の転嫁とは、他人にリスクをテイクしてもらうこと。一般には、保険をかけることでリスクを他人に引き受けてもらいます。(3)の縮小とは、リスクが現実化した際の損失を小さくすることで、火災リスクを縮小したいのであれば、自宅の建設予算をたとえば半額にすること。もちろんこの場合は小さな家で我慢することになりますが、ひとたび火災が発生しても、残りの半分の予算で家を建て直すことができます。そして最後の(4)テイクがリスクを自らが負うことです。

このいずれの対処をすべきかという目安は、リスクの発生確率とひとたびリスクが現実のものとなった際の損失の大きさによって与えられます。

発生確率が大きく、損失も大きいときは回避するのが正解です。発生確率は低いけれど損失が大きい場合は転嫁を考えることとなります。損失が小さい場合はテイクすることが可能で、中間程度の損失に対しては、これを縮小した上でテイクすることとなります。

一般に、リスクをテイクできるのは、発生確率が極めて低くこれを無視できる場合と、損失が発生しても自己資金で十分カバーできる場合のいずれかであり、これ以外の場合には何らかの対処が必要となります。(不幸にして、無視できるはずの巨大リスクをテイクした挙句にそれが発生してしまった場合は、会社組織であれば倒産する、個人であればホームレスになる、ということになります。これが「想定外」の行く末なのですね。)

これを、辻氏のように、損失×確率で期待値にしてしまいますと、何も議論できなくなってしまいます。リスクマネージメントに関しては、確率と損失を個別に議論することが重要であり、損失にフォーカスしたヨハネス山城氏の議論はなんらおかしなものではなかろう、というのが私の意見であるわけです。


この件に関して、アゴラのコメントがたくさん付いていますね。アゴラは原子力村人の宣伝文書であるという仮説に従えば、元々山城氏はアゴラにとってはブラックスワン、つまり、原発反対派もメンバーにいるではないかという反例を提示するための存在であったわけですから、目の上のたんこぶになれば削除されるのも当然のことではないかと思いますよ。

ま、私にしてみればどうでもよい話なのですが、、、

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