確率で原発の安全性を議論するということ

日本経済新聞が「原発安全性に数値基準 米国流でリスク厳格評価 」という記事を載せています。

確率的議論は信頼性工学のイロハなのですが、これまでは安全か危険かの二つに一つというような、全然科学的ではない議論に終始しておりました。わが国のこの問題につきましては、米国の原子力学会からも疑問の声が寄せられておりました。

やっとここまできたか、というのが偽らざる思いです。


さて、確率で原発事故を評価するということはどういうことでしょうか。この点につきまして、簡単に解説しておきましょう。

まず、IAEAは深刻な原発事故の頻度を10万炉年に一度以下に抑えることを目標にすべきであり、この目標は先進国においては達成可能であろう、としております。世界一安全な原発を目指すわが国といたしましては、さしあたりはこの数字が目標となります。

10万年に一回の事故の確率など、簡単にはわからないであろうと考えられるかもしれませんが、確率の知識を用いれば、このような評価は比較的簡単に行うことができます。

福島の事故の直接の原因は電源が失われたことでした。これは地震と津波によるものでしたが、原子炉本体が原因で大事故が起こる確率は100万炉年に一度とされております。ここでは話を簡単にするため、天災などによらない原子炉自体に起因する全電源喪失を、100万年に一度以下にすることを考えてみましょう。

電源は、外部から供給される電源のほかに、非常用発電機が通常は3機備えられております。非常用発電機が必要なときに必ず動作してくれれば良いのですが、故障もありますし、たまたま必要なときに点検のために分解していた可能性もあります。

ここでは仮に、100回発電機を動かそうとした際に1回は動かないといたします。この確率は、抜き打ち的にランダムな時刻に発電機を動かすというテストを数百回繰り返せば知ることができます。100回に1回動かないなら、不具合が生じる確率は0.01ということになります。

3機の非常用発電機の故障が互いに無関係に起こるといたしますと、二つ同時に動かない確率は0.01×0.01で、1万分の1となり、3機同時に動かない確率は同様に百万分の1となります。これなら、毎年一回、非常用発電機がなければ大事故につながる事態が発生しても、非常用発電機が一つも動作しないケースは百万年に一回だけ、ということになります。

実は、東日本大震災の約1月後の余震で生じた停電の際、東通原発の3機の非常用発電機が2機とも動かないという事態が発生しました。残る1機も運転中に油漏れが発生し、数時間後に運転を停止してしまいました。こんなことは本来極めてレアなケースであるべきところです。

この東通原発のケースでは、実は2機の非常用発電機は定期点検中で分解整備をしていたとのこと。こんなことは確率論を考えたら絶対にしてはいけないことです。つまり、上の例では2機の発電機が同時に動かないなどというケースは一万年に一度というのが設計時の考え方であり、まさか同時に分解するなどということは設計者は想定していなかったはずです。

これは、原子力発電所の現場の人間も確率論的な安全性評価ができていない一つの証拠であり、現状はかなり危険であるとの印象を受ける出来事ではありました。

分解点検は、もちろん必要だから行うのですが、二つ同時に分解すると必要なときに残りの一つが動かないだけで全電源喪失という事態になります。これを、一つずつ、時期をずらして分解するならば、分解点検中も常に2機の発電機が使用可能であり、二つとも動かない可能性は1機が動かない可能性に比べると非常に低く(上の例では1/100に)なります。この程度のことは、原発の管理者が当然知っていてしかるべきであり、監督官庁も含めて再教育が必要であるように私には思われます。

なお、上の議論は非常用電源についてのみ議論しましたが、実際には多数の故障要因のそれぞれについて確率を議論しなくてはいけません。また、信頼性を維持するためには、設計時の評価も重要ですが、日々の検査や点検も重要であり、これらを文書化すること、設計の際に想定された範囲に収まっているかを日々チェックすることも重要です。果たしてこれらのことはきちんとなされているのでしょうか。やっているとしても、形式に流れて惰性的に行われているのでは意味があるとはいえません。なぜこういうことをしているのか、関係者がしっかり意識して信頼性維持に取り組むこと、これが最も重要なポイントです。


さて、福島のケースでは、地震と津波で全ての発電機が失われました。このような事態を評価するには、そのような地震なり津波がどの程度の頻度で起こりえるかを評価しなくてはいけません。

十万年に一度の地震など予想もつかない、と思われるかもしれませんが、実は、きわめて低い頻度で生じる地震のエネルギーがどの程度であるかということに関してはいろいろな研究がなされており、冪乗則やグーテンベルク・リヒター則などが知られております。これは大ざっぱに言えば、エネルギーが10倍の地震の発生頻度は1/10であるということ、千年に一度の地震の10倍のエネルギーを持つ地震は一万年に一度起こるということです。

そうなりますと、十万年に一度の地震のエネルギーは千年に一度の地震のエネルギーの100倍ということになるのですが、マグニチュード11以上の地震は地殻の構造上起こり得ないという説もあり、これらを総合的に判断して対処すべき地震のエネルギーを決めるというのがまず行わなくてはいけない作業ということになります。

対処すべき地震のエネルギーがわかれば、これによる津波の大きさもわかるはずで、堤防の高さはこれに応じて決めていかなくてはなりません。また、装置や建屋の耐震設計もこのような地震に耐えうる設計としなければいけません。

そして、現在わが国にあります原子力発電所がこのような評価基準に対してどの程度のレベルにあるのか、これがまさに、表題にあります「厳格評価」なのでして、こんなことは福島の事故の直後に行われてしかるべきであったと、私は以前から考えておりました。

遅きに失したとの印象はぬぐえませんが、ともあれ正しい方向に動き始めたということは、肯定的に評価すべきことではあるでしょう。


確率論を使えば、墜落した航空機が原子炉を直撃するリスクも評価することができます。

原子炉を100m角といたしますとその面積は1万平方メートル、0.01平方キロとなります。日本の面積は37万平方キロですから、一つの原子炉の面積は国土の3700万分の1ということになります。原子炉を破壊するような航空機の墜落は、そうそう起こってはいないのですが、仮に毎年一機、日本のどこかで墜落しているといたしましても3700万年に1回の割合で墜落した航空機が原子炉を直撃するということになります。

実際には、航空機の墜落はそれほど起こっているわけではありませんし、墜落するとしても飛行経路の下で生じる可能性が高く、特に空港の近くで生じる可能性が高いですから、原子炉の立地をこのような場所を避けて行うことで、リスクはさらに下げることができます。結局のところ、航空機の墜落に関しては、ほとんど心配することはない、ということですね。


いずれにいたしましても、福島の事故に関しては、千年に一度の地震と津波によって生じているわけで、これに関しましては確率論を云々する以前の問題であったというしかありません。10万年と千年の比較など、考えるまでもありません。福島の事故は設計ミス、人災だったのですね。原子力発電所の再稼動を議論する前に、この点だけは、きちんと認識していただきたいものです。

同じ過ちを繰り返すことだけは、なんとしてでも、避けなければいけません。

設計ミスを認めることは、関係者にはつらいことではあるのでしょうが、それがケアレスミスによるものであることを多くの国民が理解するならば、そしてミスの再発を防ぐ制度的な手当てがきちんとなされるならば、原発事故のリスクを低いレベルに保つことも可能ですし、これを国民の多くがきちんと理解してくれることでしょう。

これを、関係者に累が及ぶことを恐れるがあまり、事故原因をあいまいにしたり、科学的な評価をいつまでも行わないようなことがありますと、わが国の原発はいつまでも危険な状態にとどまってしまいます。そして、原子力発電に対する国民の不安感も、いつまでたっても一掃されないこととなってしまいます。

情けない話ではありますが、これがわが国の現状であるように私には思われます。

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