あほロワー新田氏の害悪

新田哲史さんに関しては以前のこのブログでも批判的に紹介しておりますが、またしても書かれております。まあいいたいことはわからないではありません。下手に高望みすると失敗するよ、と。この言葉に一面の真実がありますことは、私も否定はいたしません。でもそれは一面において真実なのですが、それでは出来上がったコースを淡々と歩めば幸せな人生が送れるか、となりますとこれも少々おぼつかない。

じつは、新田氏が批判されております方々は、出来上がったコースが既に旧道ないし廃道化してしまっていると指摘しておられるわけでして、私にはこの指摘は正しいように思われるわけです。こんなことはごく最近のことでもありません。もとより日本に出来上がったコースなど存在していないわけで、古くは石炭産業が日本のエリートがあこがれる企業であったわけですし、その後は重化学産業が光り輝いていた時代もありました。そんな時代には、電機や自動車産業などは新興産業で、一段下の存在と思われていた時代もありました。

ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代には、電機産業や自動車会社が輝いていたのですが、今日の電機の惨状は目を覆うばかりです。で、ゲーム産業が良いか、となりますと、まあ、これらもかつて光り輝いた企業の歩んだ道を歩むのではなかろうか、と考えるのがまずは妥当なところでしょう。おまけに昔は変化が緩やかで、うまくすれば新卒が定年まで勤め上げて逃げ切ることもできたのですが、今はドッグイヤー、五年先の状況もさっぱり分からない時代になってしまったのですね。

だから、最初から出来上がった道を歩むのは少々考えた方がよいと若い人に助言するのは、それなりに筋の通った言葉であると私は思うのですね。それが優秀な人であれば、国際的に通用する能力を身につけるのが、まずは、間違いのない選択でしょう。それを「グローバルマッチョコ」などといってしまうのは、少々おかしな考え方であるように、私には思われます。

そもそも新田氏にしたところで、新聞業界に一時は籍を置かれたわけで、もしもご自身の主張が正しいのであれば、たとえそれがいかに理不尽な環境であったとしても、我慢に我慢を重ねて既得権を維持するのが正解であったはず。それを我慢できずに飛び出して、なおかつこんなことを書かれているということは、じっと耐える人生を上回る人生を送れなかったと白状しているわけで、新田氏は敗残兵、負け犬、ということになりそうです。で、ほかの人たちも自分と同じ負け犬の道を歩むだろう、などと考えて助言しているのでしょうかね。

まあ、それはある場合には正しいのかもしれない。でも、若い人たちがみんな負け犬根性に冒されてしまいますと、この国に未来などなくなってしまうのではないでしょうか。若い人たちの中には、ひょっとすると自分よりもはるかに優れた人たちがいるかもしれない、そしてその人たちは自らの可能性に気づいていないかもしれない、そんな人たちに一歩を踏み出す勇気を与えることこそ既に社会の中にあるわれわれのなすべきことであるのではなかろうか、と私は思うわけです。

まあ、負け犬にそんなことを期待するのは間違いなのですが、せめて黙っていてほしいし、何かを発言するなら批判を受け取ることができるようにしておいてほしいのですね。有害な主張をして言いっ放し、というのもこの社会にとって少々害ある存在であるように私には思われた次第です。