STAP細胞をめぐる問題に関する私見

先日の記者会見は、どちらかといえば小保方氏の写真取り違えミスに対する謝罪と、小保方氏処分の前提となります理研の調査結果に対する法律的な意味合いを強く含む反論が主体で、STAP細胞に係わる研究結果が事実であるのかそうでないのかという点での具体的な進展はほとんど見られておりません。

この問題に関しては、その後も引き続き議論が行われており、私もBLOGOSにいくつかの断片的なコメントをつけておきました。今回はこの問題に関して、私の思うところを記しておきたいと思います。

最初に誤解を招かないように私の基本的スタンスを述べておきますと、実際のところの小保方氏が何を考えて何をしたのかということに関して、可能性は三つあり、現時点ではそのいずれであるかの確証は得られていない、というのが基本的認識です。この三つの可能性といいますのは、(1)小保方氏は意図的にデータを捏造し、ありもしないSTAP細胞をあると嘘をついている可能性、(2)小保方氏は勘違いをしており実際にはSTAP細胞は存在しない可能性、(3)小保方氏は正しくSTAP細胞を作成しており、論文作成時にミスをしたことのみが問題である可能性、の三つです。

分からないのになぜコメントをつけるかといいますと、もしこれが(3)であった場合には、小保方氏を非難する多くの主張は名誉毀損なり人権侵害といった問題をはらむだけでなく、わが国の科学技術の将来にも、(科学技術立国という)政治的経済的な側面でも大いにマイナスとなると考えているからです。そこで、以下では何ゆえに有罪と断定できないかという点に付いて、私の考えを述べていきたいと思います。これをご理解いただけますと、これを私が重大な問題であると考える理由も分かっていただけるのではないかと考えております。

まず、「200回成功した」という言葉が問題となっており、これをもって小保方氏のうそは明白であると考える向きも多いのですが、ここでの「回」とは何を意味するのかが問題であり、この言葉を嘘と断定するには現時点では材料不足であると私は考えております。

すなわち、「回」を”Run”の意味に取るなら、STAP実験においては「細胞を酸処理した回数」ということになり、やろうと思えば一日に数十回の実験(酸処理)を行うことは不可能ではありません。当初のテレビ報道で紹介された理研の実験室の映像の中に培養器(ステンレス製の扉付きの箱)の映像もあってごらんになった方も多いと思うのですが、大型の装置であれば百以上の培養皿を収納して同時に培養することができます。一つのRunでいくつの培養皿を用いているかは定かではありませんが、多くても数個といったところでしょう。「回」をこの意味に解釈するなら、相当な回数の実験を同時に並行して進めることができます。

”Run”を「回」と訳す妥当性につきましては判断の分かれるところかもしれません。たとえばこのページでも、質問者の「回」と訳してよいかという質問に対して適切な回答が得られておりません。しかし、小保方氏が記者会見において「ラン」という用語を使うと記者たちには理解されなかろうと考えたとしたら、これを「回」という言葉で表現することも、あながち的外れではないように私には思われます。

「回」を“Run”の意味で使っていたのではなかろうかとするもう一つの根拠はSTAP細胞の写真の枚数が1000枚弱あるとした小保方氏の言明であり、成功した一つの条件につき3ないし4枚の写真撮影がなされたとすれば、双方の数字はおおむね一致いたします。これも偶然の一致ではないのではないか、と私は考えている次第です。

もう一つ問題となっております点は、「STAP細胞は簡単にできる」との発言と「作るにはコツがある」との発言が矛盾しており、どこでも実験をお見せしますという一方で、作り方の詳細はすぐには公表しない姿勢を示している点です。この点は、他に追試に成功した研究機関がないこととあわせ、疑惑を呼ぶ原因となっております。しかしながらこの点に関しても、実は合理的な理由があるのだがこれを明言することができない事情がある可能性もあるのではなかろうか、と私は考えております。

一般に溶液に酸を添加する場合、酸の滴下がなされた箇所に局所的に酸濃度の高い部分が生じます。溶液に含まれる細胞の一部は、非常に短い時間、高い酸濃度に晒されることになります。これがSTAP細胞形成に寄与していたといたしますと、酸の濃度や、溶液と酸の体積比、あるいは酸を滴下する際の溶液の攪拌条件や、酸を滴下する方法(壁やガラス棒に沿わせてゆっくり入れるのか、中央部に一滴ずつ滴下するのか)などが結果に影響することとなります。

このような条件は、ひとたび手順が確立されれば、誰でも同じようにできるわけで、もしそうであれば「簡単」という言葉にも「コツがある」という言葉にも嘘はないこととなります。一方で、これがSTAP形成の決め手であるといたしますと、これを簡単に公表するわけにもいきません。たとえば、「攪拌にはX社製のY型マグネティックスターラーを用い、つまみを目盛り3にあわせて攪拌すること」などということは、論文にも書きにくいし、こんな書き方では特許も意味をなしません。

この部分を外部に出すとなりますと、攪拌条件や酸の滴下方法をより一般的、普遍的な条件として記述する必要があり、このためにはスケールアップテストや、滴下部分での酸濃度の分布や拡散状態に関する知見なども得なければならないこととなります。

もちろん、酸を滴下した際に溶液中で何が起こるかなどということは、トップレベルの研究機関であれば最初から気づいているはずで、追試を行う際にも滴下条件や攪拌条件を種々に変化させたテストを行っている可能性も高そうです。あるいはいずれかの研究機関は既に追試に成功しているかもしれません。しかし、仮に追試に成功した研究機関があったとしても、現在の状況を見て、果たしてその研究機関は追試に成功したと発表するでしょうか。私がその研究機関の研究者であれば、追試成功を発表しない誘惑に果たして勝てるだろうか、はなはだ自信がありません。

なにぶん、理研にせよ小保方氏にせよ世間の批判を一手に浴びており、論文を取り下げてSTAP細胞発見者としての地位を失う可能性もかなりの確率であるわけです。そうなった時点で追試成功者が攪拌条件などを含む発表を自らの成果として行えば、今度は自分自身がSTAP細胞発見者ということになります。そうはせずに追試成功を発表すれば、理研や小保方氏を窮地から救うことになって感謝はされるでしょうが、自らの得るものははなはだ少ない。どちらを選ぶかの判断を迫られますと、自らの利益を優先させようとの誘惑に勝つことは、なかなか難しいように私には思われます。

もちろん以上は、現実が最初に述べました(3)であることを前提とした場合に言えることであり、それ以外の場合には大いに非難することも間違いではありません。しかしながら現時点で「(3)ではない」との確証が得られない以上、これを前提とした非難はすべきではないし、それが誤りであった際の損失はきわめて大きいであろうと考えているわけです。

そういうわけで、現時点でのわれわれのあるべき態度は、事態の推移を見守るだけであると考えている次第です。

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