客観的諸学としての物理学

フッサールの出発点は、物理学が万物の本質を明らかにする学問として成功を収めているのに対し、哲学は、主観と客観の一致が困難と考えられたことから、行き詰まりを迎えていた、という所でしょう.それで、もともと哲学が追求していた「本質」の代わりに、当時は一段低級と考えられていた「現象」を研究しましょうね、というわけです。

ニュートンの物理学は、カトリック教会の「真理」を打ち破り、自然界の法則を記述する真理と考えられていました.フッサールの言う、成功した「客観的諸学」は、ニュートンの物理学をベースとしているように思われます.

フッサールの時代には、アインシュタインが特殊相対性理論を発表しています.また、量子力学の研究も急速に進んでいた時代です.これらは、哲学・思想界にも大きな影響を与えています.だから、今日、現象学を語る場合には、これら「客観的諸学」のありようの変化も押えておく必要があるでしょう.

すなわち、

  • 物理の理論といえども、自然の本質を示すものではなく、自然現象の記述に過ぎない.
  • 時間も座標の1つであり、空間座標と変換され得る.但し、未来を知ることはできない.
  • 知ることができないことは、確定していない.(確率はわかるのだが)

というわけで、現在の物理学は、現象学と何ら変らないんですねえ。

結局のところ、我々ができる事は、人と社会を観察し、そこで起きていることを記述する過程を通して、(万物の本質を追求するのではなく、)我々のあるべき姿、進むべき道を見出していく、そういうことでしょう.

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