仲間社会の意義と危険性

仲間社会、社会学者は部族社会、なんて言いますけど、これが拡大したのが民族主義国家です。この社会、中にいる人には、実に気分の良い社会なんですけど、外部のものを排斥し、異質な他者には極めて冷酷、という大問題があります。

その典型がナチズム。

ポパーは、第二次大戦の反省から、部族主義に反発し、開かれた社会を主張します。彼が、「開かれた社会とその敵」で攻撃するのは、「プラトン」なんですけど、実際には、ヒットラーをはじめとする、極端な民族主義者が敵なんですね。

でも、開かれた社会にも問題があると、ポパーは言います。彼の「開かれた社会とその敵」より、一部を引用しましょう。

開かれた社会はその有機体的性格の喪失の結果として,次第に私が「抽象社会」と呼びたいものになるであろう.それはかなりの程度まで,人間の具体的集団という性格,またこのような具体的諸集団からなる組織という性格を失うであろう.めったに理解されることのなかったこの論点は,誇張の方法によって説明できよう.われわれは,人々がほとんど対面することのないような社会── そこではすべての仕事が隔離された諸個人によって遂行され,彼らはタイプされた手紙や電話で連絡し合い締め切った自動車で歩き回るような社会 ── のことを想像できよう(人工受精を用いれば,繁殖さえも個人的要素なしに行えよう).このような架空の社会は「完全に抽象的ないし非人格化された社会」と呼んでよいであろう.
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現代社会では,親密な個人的接触を全然または極めてわずかしかもたず,名もなく孤独に,その結果として不幸に暮らしている人々が多数いる.というのも社会は抽象的なものになったが,人間の生物学的仕組みはあまり変わらなかったからである.人間は開かれた世界では満たすことのできない社会的欲求を持っているのである.

さて、開かれた社会、どこかで目にしたみたいな社会ですねえ。実は、インターネットの上に出来た社会、これは、ポパーの想定した「完全に開かれた社会」なんですねえ。

で、そんな社会で人々は不幸になるのか? そんな社会でも、人々を幸福に出来るやり方があるんじゃないの? これが私の疑問です。