ポストモダンで語られた現在の問題

ポストモダンで語られた現在の問題については、考えておかなければいけませんね。

まあ、これらの問題、別に目新しいものではないんですけど、これを大きな物語の喪失、と一括りにすると、小さな世界への引きこもり、という答えしか出てこない。これらの問題には、個別に、地道に対応するしかありません。

まずは、多様な文化の台頭、これは元々そうだったんだから、あきらめるしかない。西欧キリスト教文化の正統性など、最初から存在しない、妄信に過ぎません。問題は、宗教が絡むところですけど、宗教にしたところで、人間の解釈、
バチカンが、神の御旨を絶対に正しい解釈をしているとは断言できません。地動説や異端に対する対応など、明らかな誤りも犯しているのですからね。

テロは困るが、それはその部分で対応すればよい問題、他人の神経を逆なでするような行為をあえてしなくちゃいけない理由はありません。宗教に関しては、互いに他を尊重する、寛容の精神で臨むことにしましょうよ。

次に、都市化の問題、コミュニティの喪失という問題があります。都市化すると、人間関係は匿名的になり、人々はアイデンティティを失うというか、極端な言い方をすれば、自分が何者か、わからなくなってしまう、という問題があります。これが犯罪や、精神的な不安定さなど、都市的病理現象を引き起こすんですね。

社会が大きくなると、人間関係が希薄化するというか、匿名的関係になるのはやむをえないことです。と、いうか、匿名的人間関係こそが、大きな社会で要求されるものです。つまり、公正で開かれた社会は、どんな人にも等しく機会を提供する、ならば、その人が誰か、なんてことを社会が問題にしちゃいけません。

都市に住む人々は、匿名的な人付き合いの仕方、匿名的コミュニケーション技術をマスターするしかない。これは、都市の提供する機会にアクセスするためにも必要な技術。

もう一つは、コミュニティを作り出すこと、これ、自治体なんかもやっていますけど、コミュニティ、本来自然に発生するもの。気の会った仲間と何か始める、こういう動きがあちこちで出来てくると良いですね。インターネットもきっと役に立つはず。

コミュニティ崩壊の一つの原因は、教育、文部省も日教組も、中央からの号令で学校を動かそうとします。こんなやり方、人間の自然な姿から、かけ離れています。教育の場では、もっと自然な人間関係がなくちゃ。自然発生的な動き、もしあれば応援すべきです。一律の基準に従え、というやり方、ある意味で恐ろしい発想ではあります。文部省を解体すれば、日本の教育、少しはましになるでしょう。この問題については、また改めて議論しましょう。