みんなが違うことを考えている、と考えること

これ、ひょっとすると、混乱を避けるための一つの知恵かもしれません。

逆の考え、みんなが自分と同じように考える、ということなのですけど、どうも、これが、ネットの混乱をはじめ、およそあらゆる世界の混乱の原因かもしれません。

そもそも人はそれぞれ、立場も違えば、生まれ育った環境も違う、同じようなものの考え方、するはずがないのですね。

だけども、普通の社会では、人が付き合っているのは、圧倒的に似た人が多い。たとえば学校、年代も同じなら、目的も同じ。まあ、一応、ですが、、、学校に通う生徒たち、勉強するのが目的、なんですねえ。会社などに勤めると、付き合う人たちの年代は開きが出ますけど、会社勤めなら、付き合う相手はサラリーマン、社風に染まれば考えも似てくる。

それがネットということになると、相手は全然わかりません。会社勤めの人もいれば、中学生もいるだろうし、組織と無縁の人も多いはず。政治的な立場に至っては、極右から極左まで、どんな人がいても不思議じゃない。

でも一つわかることは、書かれたもの。テクストが書き手の全てを物語る。書かれていないものは、知りようがない、当たり前の話ではあります。

で、そこから読み取れるものは、文章が直接意味するものはもちろんなのですが、その意味内容、文体から、書き手がどんな人か、およそ想像がつく場合が多い。これ、「エクリチュール」等と呼ばれているものでして、たとえば「ため口」をきく人、気安い仲間と考えているはずだし、一人称の「私」「オイラ」「俺」等なども、書き手の関り方を探る手がかりになります。

そういえば、ネットの喧嘩でオカマ呼ばわりされて怒っていた人がいましたね。確かに、見ず知らずの人をオカマ呼ばわりするのは、どうかと思うのですが、ネットで伝わるのはテクストのみ、書き手の姿、受け手には判らない。液晶とバックライトが織り成す光と影、その中に読者が見出したもの、それは「オカマのエクリチュール」だった、というわけです。そんなこと言われて怒り出す前に、文章の書き方、何とかしてもらいたいものです。

さて、そうして相手の特質がある程度割り出せたら、考え方も理解できそう。いろいろな考えの人が、それぞれの立場で議論に加わっている、

その立場や考え、それ自体は否定できるようなものではない。まあ、無法者の立場、などはちょっと困るのですが、その人固有の事情、年齢、性別、社会的立場、政治思想、宗教、教育程度、居住環境、経済事情、まあ、そういったことを割り出すのはドダイ無理なのですが、およそのことはわかるはず。つまり、考え方のパターンは判るはず。「貧乏人は嫌だね」等とほざいて、それを否定してみた所で始まらない。

いろいろな考えの人がいる。そのこと自体は拒否できるようなことではないし、その多様性、むしろ得がたいものであるともいえるのでしょう。だから、ネットのコミュニケーションで大事なことは、いろんな人がいる、ということを理解して付き合うこと、相手の考え、そのそれぞれが、自分と微妙に異なることをきちんと押えてコミュニケーションするように心がけると、また、いろいろなことが判ってくる。

これは、ネットに限らず、大きな社会と付き合う上でも必要なことであるように思うのですが、、、