「和」について考える。あるいは「和の峻別」について

先週の新聞で、自民党が憲法の試案を作成との記事を読みました。その前文に、日本が多様な文化を受け入れる「和」を重んじる国家であるとの規定がありました。

そのことは正しいと思いますが、自民党の「和」には、ちと不信感も伴います。天下りや談合を肯定する、ムラ社会を目指すとの印象を受けてしまうのですね。

日本の和の文化については以前の日記書きました。ちょっと長いのですが、再掲します。

これまでの歴史で一貫して流れる社会的変動が都市化。村落的共同体の喪失でして、人々は温かみのある人間関係を失い、匿名的、機械的な人間関係の中で生きざるを得なくなる。「田中さんちの次男坊」が「レジ係」として扱われる。

でもこの流れ、社会が拡大したための必然的流れであって止めようもないし、また、村落というもの、合理的判断よりは長老の独断に従って動く性質もあり、巨大化した社会が一人の人間の思惑で動くことの危険性は、先の大戦でのナチスの暴走からも、広く認識されているのですね。

都市的人間関係は、人々に等しく可能性を与えるという優れた面もありまして、生まれながらにして運命が定められる村落的共同体よりも好ましい社会であるともいえます。少なくとも、いまさら逆行はできないでしょう。

で、このような社会の常識足りえるものは何か、というと、抽象性。つまり、個々の人々の事情に無関係な、客観的判断基準が重要になります。都市化の進展に伴って、法の支配が重視され、官僚制度が整ってきました。

で、最近の変化は、これがもう一段先に進んだ、と見ることができるのですね。つまり、かつての村落的共同体のアナロジーで国家を語れば、世界全体を覆う巨大な都市の中に飲み込まれていく、と例えればよいような状況が進んでいる。国際化、グローバルスタンダード、の時代に向かって進んでいるのですね。

この動きも、実は、止めようがない。今日の世界は一つの社会として活動している。大量の物資、資金、情報が国境を超えて流れ、世界は一つのシステムを形成している。その中で、価値基準も常識も、差異を維持することは困難になりつつあります。

恐らく、世界は普遍文明とも呼ぶべき一つの文化圏に収斂していくであろうと予想する人類学者もいるのですね。それは西欧文明の世界支配になる、なんて見方もあるのですが、これはこれで難しい問題を多々孕んでいます。

一方で、日本文化とは何か、という問題ですけど、基本的には辺境の文化であり、混血の文化である、という特徴があります。日本人のルーツは、大陸の南と北、それに海を渡って漂着した民の混血でして、中国という巨大文明に近かったけど、これに征服されることもなく、独自の文化を築いてきたのですね。

もちろん、目を近代以降に向ければ、本居宣長らの国学が、明治維新以来、太平洋戦争に至るまでの日本文化の柱となっていました。でもこれは、キリスト教を礎とした西欧文化に対抗するための支柱という性格が強く、形は西欧型の社会体制で、ただその柱がヤマトゴコロであったわけですね。

さて、辺境の混血文化の特徴は、寛容性。古来日本に住む人たちは、様々な文化を受け入れ、独自の発展を遂げてきたわけです。この文化、確固たる自己主張をもたず、他との関係の中に自己を位置づけることを重視する文化でこれを否定的に捉える向きもあるのですが、実は、これは得がたい特性でして、いずれ世界を覆うであろう普遍文明、まさにこういう文明でなくてはいけない。

日本人、もっと自信を持っても良いのではないか、私はそう思うのですね。和をもって尊しとなす。聖徳太子のこの言葉、今でも全然古くない。元来、和の国であった日本、これからの世界では、貴重な存在なのですね。

問題の「和」という言葉、仲間内で和気藹々とやる、なんてものではありません。異質な他者に対して、自らを相対化して考える、という厳しい要求を突きつけます。その礎は、実証された事実と普遍的な論理、そして明文化された合意事項でして、感性的な善悪判断は、生まれも育ちも異なる他者と、共有できる保証はありません。

たとえば中国の反日問題に対して、「ボクは靖国に行くモンね」では和の精神が発揮されているとはいえない。総理大臣が参拝するということになれば、宗教と憲法の問題に対しても、きちんとした見解がなくてはいけないし、東京裁判を受け入れるのか受け入れないのか、その点も明確にしなくちゃいけない。

もしも東京裁判を日本政府として否定するなら、きちんとした法的措置が必要です。公的には、政府、既にこれを受け入れていますから、これを覆す手続きが要ります。

東京裁判、確かにひどい話ですから、名誉回復の措置を取るべく努力をする、これは正しいことです。そのためには、事実を検証し、法の条文に照らして、有罪無罪を問い直す必要があるのですね。その上で、名誉を回復すべきは名誉を回復すればよい。ただし、それでもなお有罪、となればその人は罪人、処刑された犯罪者であり、戦争の犠牲者ではない、としなければいけません。

そういったプロセスをすっ飛ばして、感情的に否定しても始まりません。それは、「和」の対極に位置する「独り善がり」でしかないのですね。

異質な文明下にある欧米の裁判官が下した判決であっても、ただ否定するのではなく、きちんと検証し、正しいものは受け入れ、誤りがあればそれをきちんと明らかにする。和の精神とは、そのような、己にも、他にも、厳しい生き方の上に、初めて存在することができるのですね。

もう一つ付け加えれば、国家神道も、実は和の精神から外れたものでして、引用部に書いたように、キリスト教という絶対的な宗教の上に構築された西欧に対抗するため、わが国の為政者が人為的、政治的に取り入れたのが国家神道であり、当時の民間信仰であった神仏混交を、破壊して広げていったものだったのですね。

神仏分離令に基づく破壊は、タリバンもびっくりの徹底したものでして、これが和の精神の元で行われたものであるとは、到底考えられません。

自民党がそこまで考えて「和」という言葉を憲法試案の前文に入れたのならこれは大したものです。あとは、変な方向に行かないように、和の峻別、これをきちんとしなくちゃいけません。それがきちんとなされれば、この日本、世界に尊敬される国家となること間違いなし、と太鼓判、なのですが、、、


キューバに大きな被害を与えたDennis、洋上に出て再び勢力を拡大、現在カテゴリー3です。ハリケーンの影響で竜巻も発生していると。モービル付近への上陸は現地時間日曜夜の予想、多くの人たちが避難している様子ですが、かなりの被害が出るのでは、と心配されます。


Dennisはカテゴリー4になりました。中心気圧932mbでMobileに接近中です。

ニュースによりますと、このハリケーン、「ちょっと悪い、なんてもんじゃない」そうでして、既にフロリダ州を中心に百万人以上に避難命令が出されているとのこと。

ハリケーン接近中のモービルの街、旧モービル石油の施設があるところだといたしますと、このハリケーンでかなりの被害が出るものと予想され、原油高騰が懸念されます。

NY商品取引所が開くのは、日本時間月曜日の夕刻ですが、この懸念、急騰と思われた月曜の東京株式市場に、どう反映されるかが問題。小幅高に止まるかも知れませんね。

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