理想、求めて抑圧される、人間性

異様に寒い一日となりました昨日、こんな日には、暖かい部屋に引きこもって本でも読むのが一番と、寒い中、書店に出かけて買い求めました一冊は、多文化世界。岩波新書の本体定価700円はお買い得です。

実は著者の青木保先生、私が2年ほど師事したことがあります文化人類学者で、タイの僧院で修行したことでも知られる方です。そのときの経験を綴った本は売り切れですが、古本ならあるみたいです。書名はタイの僧院にて。本日記の表題は、これの真似です。(2016.6.7追記:現在では「にて」を「から」に修正しています。)

文化人類学の一つのアプローチはフィールドワーク、研究対象となる社会で生活して文化を調査することでして、アマゾン奥地の裸族の文化を調査したレヴィ・ストロースの研究が有名どころです。こちらの顛末は、「悲しき熱帯」の二冊を御覧下さい。(村上龍の悲しき熱帯とは別物ですのでご注意を)

で、何で私が文化人類学か、といいますと、当時盛んに利用されるようになりましたインターネット、そこには社会の形成が認められ、実に興味深い文化現象があることに気付いたからなのですね。

そこには、混乱や悲劇もたくさんありました。急速に拡大するインターネット、その文化的衝撃を放置すると社会的混乱を招くのでは、なんて危機感もあったのですね。この悪い予感、結果的には当たってしまいました。今日の社会問題、ネットなしには起こりえなかった事件も多々あるのですね。

とまあ、この話を始めると長くなりまして、肝心の主題に入れません。ネットと文化の問題につきましては、悲しきネットをご参照いただくことにいたしまして、話を先に進めることにいたしましょう。(この表題も、もちろん悲しき熱帯のパクリ。パクリまくりのブログなのです。)

さて、表題に掲げました、「理想追求が抑圧する人間性」ということなのですが、青木先生のご本から一部を引用させていただきましょう。

バーリンはイデオロギーは人間の理想を鼓舞する一方、人間性をおとしめたり抑圧したりする、この問題については、19世紀の最も鋭い社会思想家でさえ誰一人として予言していないと述べています。近代思想の中で、社会改革のイデオロギーは常にプラスの方向、よりよいものであると捉えられていました。それはフランス革命以来、人間の理想の追求の一環として捉えられてきたからだと言えるでしょう。

ただ、20世紀を振り返ってみますと、理想主義に貫かれたイデオロギーのもたらしたものは、結果的に反人間的な行いであり、価値の分断であり、ナチズムに象徴されるように、人類の一体化よりはむしろ人類の分断であり、抑圧であったと言えます。これは大変不幸なことだったと思います。

で、宗教というのも、理想の追求であり、9.11などの悲劇の原因になっているわけですね。もちろん悪いのはイスラムだけではない。国内では多文化の共存を認める一方で、神の国アメリカを標榜するブッシュにしたところで、同類の、理想追求者、であるわけですね。

多数の文化、宗教が地球上に並存することは認めなくてはいけません。でも、それぞれの世界は閉じたものではないし、世界が違えば理解不能、というものでもありません。

文化、宗教以前に、人であれば共通に持っている感覚、思考形態、価値基準、そういったある種のメタカルチャが人間性と呼ばれるものなのでしょう。で、理想を追求する場合にも、その人間性の部分に注意を払うこと、いうなれば、人の道を外れないこと、が大切である、ということでしょう。

さて、この本は、二章立てでして、前半が「文化という課題」と題しまして、その概要が、ここまでご紹介した内容です。で、後半は「文化の力」と題しまして、処方箋を提示します。

その処方箋は、ジョゼフ・ナイのいうソフトパワーを高めなさい、ということでして、軍事力や経済力といったハードパワーだけではなく、他国に尊敬され、憧れを持たれる国家にならなければならない。そのためには、他国民の言い分にも耳を傾けることと、文化の面でも魅力あふれる国家にしなくちゃいけません、ということです。

米国の場合でいえば、ハリウッド映画や米国風生活様式が世界中の多くの人々に受け入れられ、米国に対する魅力を高めている一方で、他国の言い分、アラブはおろか、欧州各国の言い分にも耳を貸そうとしないブッシュの姿勢が、米国のソフトパワーを毀損している、というわけですね。

同様なシチュエーションは日本にもありまして、せっかくアニメなどで日本の文化を世界に認めさせたところで、靖国参拝に象徴される過去を反省しない姿勢が日本のソフトパワーを低下させている、ということなのですね。

確かに、日本人の誰かがどこの神社に参拝しようと、他国にがたがた言われる筋合いはありませんし、一宗教法人である靖国神社が誰を祀ろうと、他人が口を出す問題ではありません。

しかし、世界には、そうした行為に不快感を示す人々も存在する。これは厳然たる事実なのですね。こうした事実を踏まえた上で、わが国の国益にかなう道を模索すること、これが、政治家が正に考えなくてはいけないことではないか、と私も思います。

その他、同書には、人の歩きやすい道にすること、など、ソフトパワーを高める提言がいくつもなされているのですが、このブログでは省略いたします。興味のある方は、原書をご一読されることをお奨めいたします。

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