内田樹・平川克美著「東京ファイティングキッズ」を読む

本日ご紹介いたします一冊は、内田樹・平川克美著「東京ファイティングキッズ」。この本、表題だけをみますと少々軽めなのですが、内容は重たいものを含んでおります。

同書は普通の人間が読むと、少々戸惑うかも知れません。なにぶん、お二方の間で交わされる往復書簡ですから、著者のまなざしは相手を向いておりまして、読者は第三者的立場でこれを眺める、というスタンスになります。

まあ、内田樹ファンや平川克美ファンに取りましては美味しい一冊かもしれませんが、「小さな会社の作り方」的な経営学に近い内容を期待して読みますと、おそらく失望することになります。実は、かくいう私も、同書を読み始めた段階で、軽い失望感を覚えた次第です。

とはいいましても、全部読んでみれば、いろいろと考えさせる内容を含む一冊です。ここでは、同書の内容をご紹介する、というより、その考えさせられました部分につき、ご紹介することといたしましょう。ま、内容を知りたければ本を読むのが一番。さほど高い本でもありませんし、読むに手こずる本でもありませんから、、、

まず、「会社」ですが、Wikipediaによりますと、内田氏は「大学院生時代には友人と翻訳会社を経営して成功を収める」とありまして、そのいきさつが第一書簡で語られております。でもこの「会社」といいますものが、普通の意味での「会社」とは相当に異なっているとの印象を受けます。

この謎は、第9書簡で明かされます。同書によりますと、次のようになります。

「会社」というものを考えるとき、それを「機関」と考えるか「共同体」と考えるかで、それにコミットする人間のふるまい方はまったく異なってきます。

なるほど。つまり、ここで語られている「会社」とは「共同体」としての会社であり、契約関係よりも心情的つながりに礎を置く組織としての会社、というわけですね。テンニエス流にいえば、ゲゼルシャフトではなく、ゲマインシャフトとしての会社を語っているわけです。

一つ危惧されることは、ゲマインシャフトとしての会社、普通の言葉でいいますと、家族的紐帯に基づく会社組織は、規模が拡大するに従って困難が生じるであろう、という点です。会社組織というものは、売り上げが小さな間はどんぶり勘定でもやっていけますし、社長の目が会社の隅々にまで行き届きますので、管理もし易いし、決断もし易いのですが、ひとたび規模が拡大いたしますと、経理はきちんとした手続きに則って処理しなければいけませんし、階層的な組織を作り、権限と責任を明確にする必要が生じます。

もちろんこれには例外もありまして、平川氏の関与しているリナックスのようなオープンソースの世界では、相当に大規模なソフトウエア開発がゲマインシャフト的組織形態で遂行されているのですね。とはいえ、これはお金が絡まないから可能なのではないか、という気もいたします。

また、経済活動が全て大企業によって遂行されているわけでもなく、小規模な会社もかなりの部分を担っているのでしょう。そうした小企業にあっては、家族的経営がなされていても不思議はありませんし、「戦略」などといってみたところで始まらないのも、また事実でしょう。

一方で、小さな会社としてスタートしても、いずれは大企業に成長する、という目標を描いているのであれば、戦略も必要でしょうし、先々の混乱を避けるためには、小規模な段階からきちんとした組織を形成しておく必要もあります。要は、平川氏も書くように、「会社」というものをどのように位置づけるかによって、そのあり方も変わってくる、ということなのですね。

さて、ここまでは同書の内容の紹介に近いのですが、同書を読みまして私が考えたことに付きまして、以下、述べることといたします。

まず、同書の隠されたテーマは、「ヒトのキモチ」という視点であって、言語化困難なその内容を表現するために、その周囲を逡巡しているのではなかろうか、という印象を受けました。

この「ヒトのキモチ」、美学、美意識、といった言葉でも表現されますし、倫理、道徳の拠って立つところでもあります。また、最近の企業経営でも、「消費者満足度」や「ブランドイメージ」、「好感度」などの形で重視される部分でもあります。

以前のこのブログでご紹介いたしましたスポンヴィル氏の「資本主義に徳はあるか」では、世界をいくつかの階層に分けて議論しておりました。私は、階層、というよりも、いくつかの極がある、と考えるのが良いのではないかと思います。

この極、いずれが上でも下でもないのですが、まず第一に、科学・技術・経済の極がありまして、実現可能性を評価軸として語られる極、ということになります。第二には、法律、契約の極がありまして、合法、違法が評価軸となります。で、第三の極が「ヒトのキモチ」の極ではないか、というわけなのですね。で、この第三の極の評価軸は感性的なものであって、好き・嫌い、美・醜、善・悪を持って評価されることとなります。

会社というものは、まず、実行可能性が第一です。製造業であれば、作りました製品がきちんと動くこと、カタログスペックを満足しなければなりませんし、流通業であればモノがきちんと流れなくてはいけません。また、資金もショートしないよう、きちんきちんと手当てされなければいけません。

これはまず当然のことなのですが、その次に、もう一つの足をいずれの極に近づけるか、ということが問題となります。一つの道は、「ヒトのキモチ」を完全に無視して、法律・契約の極に軸足を置くこと。これは例えばハゲタカファンドの道、なのでしょう。一方で、法律・契約への関与は最小限に止め、「ヒトのキモチ」を重視する方向もあるわけで、これが共同体的会社経営、ということになるのでしょう。

まあ、おそらくは、その間に最適点があるはずでして、法律・契約関係もきちんと追求し、「ヒトのキモチ」も重視する、そんな会社経営がベスト、ということになるはずです。

要は、「会社」というもの、「機関」と「共同体」のいずれか一方でなければならない、ということではなく、その両極の間の適当な位置にある、ということではないかと思うのですね。