ジョン・プライス・ロゼー「科学哲学の歴史」を読む

このところ科学哲学づいているこのブログですが、本日もその分野の一冊、ジョン・プライス・ロゼー著「科学哲学の歴史―科学的認識とは何か」を読むことといたしましょう。

同書は、原書が1972年の出版で、日本語版は旧版が1974年の出版ですが、2001年に復刻版が出ております。ちなみにこれも東大駒場生協で入手したもの。駒場は科学哲学の講座がありますためか、生協書籍売場の科学哲学関連は充実しております。まあ、格闘技関連の書物を東京ドーム横の本屋に求めるようなものですね。

閑話休題。内容といきましょう。

お話は、ギリシャ時代という古い時代の科学哲学から始まります。巨匠アリストテレスの、「観察から帰納により説明原理を見出し、これを用いて演繹により、観察される現象を説明する」とする科学の基本的考え方が紹介され、これに用いる三段論法などの論理がこの当時に知られていたことを述べます。アリストテレスの「科学における適切に定式化された第一原理およびそれらの演繹結果は真実以外の何物でもない」とする考え方は、後世に大きな影響を与えました。

同時代のピタゴラス学徒は「数学的調和についての知識は宇宙の基本構造を見通すものだと確信」し、プラトンは「『知識』は背後に横たわる合理的な秩序の明確化で超越されなければならない」と考えます。これはたとえば、5種類の正多面体に元素を割り当てるなどの、神秘的な思想に走ったりもいたします。

アリストテレスの論理学は、西欧社会においてはその後長らく忘れられていたのですが、12世紀中頃にアラビア語、ギリシャ語からラテン語に翻訳されます。これをまとめたのがロジャー・ベーコンです。また、オッカムのウィリアムは「余分な概念は排除されるべき」とする「オッカムのカミソリ」と後世に呼ばれる原理を提唱いたしました。

16世紀に入りますと、コペルニクスが地動説を唱えます。ただ彼は、地球が現実に太陽の周りを回っているということではなく、数学的な計算手段として地動説を唱えます。一方ガリレオは、少々やりすぎてしまいます。

実際彼は、太陽中心仮説を、現象を救うための単なる計算の工夫とは考えなかった。実際彼は、コペルニクスの体系が物理的真理だとする多数の論証を提出した。ガリレオが自分のピタゴラス教条主義に、適切に選ばれた実験は宇宙に数学的調和が実在することを確証する、という信念を補足したことは以後の科学の展開にとって非常に重要なことだった。

一方、ケプラーは、ピタゴラスの流れを引き継ぎ、当初は惑星軌道を正多面体に関連づけようといたしますがこれには失敗、しかし、惑星軌道を簡単な数式で表現できることを見出します。この知見は、後にニュートンの万有引力説を裏付けることとなります。

一方、ピタゴラス流の単純な数列を用いて惑星の軌道半径を表現する試みは、ボーデの法則という形で実を結びます。これによりますと、軌道半径の計算値と実測値は以下のようになります。

惑星   水星  金星  地球  火星  小惑星 木星  土星  天王星 海王星 冥王星
計算値  4+0  4+3    4+6       4+12  4+24   4+48     4+96  4+192 4+381
観測値  3.9    7.2   10    15.2    52.0  95.4  191.9    300.7    395

もちろんこれはたまたまなのでしょうが、小惑星や天王星が発見される前に、かなりの精度でその軌道半径を予測しておりましたので、広く受け入れられる説となりました。また、海王星の軌道は大きく狂っているのですが、その代わりに冥王星の軌道がその位置にありますので、海王星を別物とみなす、という考え方もできるのですね。

とまあ、いろいろな紆余曲折がありますが、ガリレオ、フランシスコ・ベーコン、デカルトの登場で、種々の誤りも含みながら近代的な自然科学の礎が築かれます。そしていよいよニュートンの登場、となります。

ニュートンは、「私は仮説を作らない」という言葉が有名なのですが、ニュートンの言う「仮説」とは、今日的な意味とは少々異なると、次のように述べます。

ニュートンの「理論」および「仮説」という言葉の用法は今日的なものとは一致していない。彼は「理論」という言葉を明らかに見ることができる性質を指示する言葉(名辞)の間の不変的関係に対して用いている。彼はときどきこれら不変的関係を現象「から演繹された」関係だと述べているが、多分彼はこのことによってこれら関係の確実性に対する非常に強力な帰納的な証拠の存在を示したつもりだったのだろう。ニュートンの用法では「仮説」というのは、その測定の手続きが未知の「隠された性質(ocult qualities)」を指示する言葉(名辞)についての言明だ。

ニュートンの物理学は、宇宙を律するものと広く受け止められました。科学哲学は、その後、ロック、ライプニッツ、ヒュームなどにより発展いたしましたが、なんといってもカントの存在が大きいでしょう。カントの主張を同書より引用いたしますと、次のようになります。

カントは、経験の体系的組織は知覚の主体が探し求めるゴールだとみなした。彼は、望ましい体系化は、「理性」の能力は「悟性」に対して経験的判断の配列のためのいくつかの規則を定めている。カントは、「理性」の統制原理は何か特定の経験的判断の体系を正当化するために用いることはできない、ということは全くよく理解していた。むしろ、それらが定めるのは理想的な体系的組織と一致するように科学的理論を作り上げるであろう方法だ。
……
理論に関してカントは受容性の基準として予測能力と試験可能性とをあげた。彼は、成功的な理論は新しい存在あるいは関係に言及することによって経験法則を結合する、と書いている。この体系化にはそれ以上の経験領域に対するこれらの存在あるいは経験の解釈の拡張可能性ということが潜んでいる。カントは科学的理論の肥沃性に注意を引きつけた。彼は、これらの理論は非常に受容可能性に富み、現象間の関係についての我々の知識を拡大する、と示唆した。

カントは、自然の目的論的解釈も退け、「目的論を『理性』がそのゴールとしての経験法則を選ぶ統制原理でしかありえない」としております。

同書では、これ以後の哲学者の科学哲学に関しても紹介しておりますが、カント以降は少々小粒との感がありまして、終り方が少々からとつ。落ちがない、と言いますか、、、やはりこの手の本は、最後に巨匠を紹介して終るのが宜しかったのではないか、との印象を受けた次第です。

もちろん、同書は20世紀後半に出版された本ですので、量子力学や特殊相対性理論のことも少しだけ書いてあります。その割には、これらに関する記述が極めて少ないことが異様な印象を受けます。

あるいは、量子力学や相対論を含む科学哲学というものが、未だ確立されていない、ということなのでしょうか。もしそうであるといたしますと、最近私が取り組んでおります研究は、非常に面白い内容を含む、ということになるのですが。

さて、以上が同書の紹介ですが、同書の面白いところは、ピタゴラス流の神秘的な数列が、長い間、天文学の世界で大手を振っていた、という事実です。こんな数列に意味がないことくらい、ちょっと考えればわかりそうなものですが、創造主たる神の存在が前提となりますと、何らかの暗号を天体の構造の中に書き記した、ということも考えたくなるのかもしれません。

これは、たとえば「薔薇の名前(上)(下)」などを読んでいただくと雰囲気がつかめるかと思うのですが、中世の神学は、神秘的な数字をもてあそぶことが多かったのですね。これが物理学、天文学にも多大な影響を及ぼしたのではないでしょうか。

ともあれ、カントの偉大さが改めて認識される次第。さしあたりの科学哲学は、カントの業績の上に作り出すしかないような気がいたします。

それにしても、フッサールを初めとする現象学が一方にありまして、「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」などは、半ば科学哲学の本であるような印象を受けます。また、唯物論の大きなうねりがありますし、スピノザの汎神論も、多くの科学者に支持されたのですね。さらには、形而上学を軽視するプラグマティズムの影響に付きましても、本来であれば書き込まなければいけなかったはず。これらに関する記述がなされていないというのは、今日の科学哲学の書物としましては、少々手薄、片手落ち、との感がいたします。

まあ、同書のカント以後は、少々内容が薄く、量もほとんどありませんから、これは、ギリシャ時代からカントに至る科学哲学を書いた本である、と割り切れば良いのかもしれませんね。

ちなみにこの本、巻末の「本文中に現れる人物の紹介」が面白い。なんとなくシニカルな書き方でして、たとえばデカルトの、

1649年にデカルトは、スウェーデンのクリスチナ女王の宮廷哲学者になるようにという招請を受け入れた。その次の年、彼は死んだ。

とか、ロジャー・ベーコンの、

法王クレメンス4世はベーコンにその著作を献ずるように求めた……。ベーコンはこのときまだ彼の見解を書物にしてはいなかったが、彼は素早く『大著』とそれに付随する二つの著作をまとめ、法王に送った(1268年)。不幸にも法王はベーコンが献じた著作に目を通す前に死んでしまった。

とか、、、、なんか面白いですね。


2015.12.6:誤字と表のレイアウトを修正しました。

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