試論:間主観性上の科学哲学(その3)

本日は備忘録代わりに少しだけ。

量子力学がご専門の方の実在の定義を見つけましたので、少々論評しておきましょう。まず、実在の定義部分を以下に引用いたします。

EPRパラドックスを議論するときは、「実在(reality)」という言葉が出てきます。しかし、これを必要以上に難しく考えたり、あるいは哲学的に考えたりする必要はありません。「実在という用語はどのように使えるか」を厳密に定義した上で用いるので、論理的に厳密な議論ができるからです。

定義に移る前に、すこし直感的に考えて見ましょう。古典的な世界では、観測者が観測するか否かに関係なく、物理的対象は「存在する」と考えられます。たとえば、私達が見ていても見ていなくても、「月」は「存在する」と考えられるでしょう。この「月」のようなものを、「実在」と呼ぶことにするのは、直感的には受け入れやすいと思います。さらに詳しく考えると、物理学においては、「月」とは、様々な物理量(位置や運動量など)の複合体とみなすことができます。古典的には、位置も運動量も、私達が測定することで完全に決定されます。逆に、「月」を構成する粒子の位置と運動量を全て指定すれば、「月」の状態は確定します。つまり、「月」の様々な物理量の値を指定することで、「月」の状態(高次元の位相空間の点)を指定することができます。このような「月を構成する個々の物理量」は、いわば「実在の要素」と呼ぶことができます。

このような考え方を進めて、まずは「実在」の条件を、以下のように定義します。

「実在」の十分条件・・・ある時刻 t におけるある物理量Aの測定結果を、(どんな方法でもよいから)事前に確率1で予測できるならば、時刻tにおいて、Aに対応する「実在の要素(element of reality)」が存在する。

すこしややこしいですが、これは十分条件であり、必要条件ではありません。つまり、人間が確率1で予測できる物理量には必ず「実在の要素」が対応していますが、人間に予測できる物理量に対応していないような「実在の要素」があっても構わないのです。

ここで、注意しなければならないことがあります。それは、物理学は経験科学なので、勝手に用語を定義してそれを信奉するわけにはいかないということです。このように定義した「実在(の要素)」という概念が、実際の世界を記述する上で本当に役に立つのかどうかは、改めて確認しなければなりません。しかし、さしあたっては、この定義を認めてしまって議論を進めることにします。

ふうむ、「観測できるものならそれは実在する」というわけですね。まあこれは、「人が概念を見出す原因」という私の実在定義とさほど異なってはいないし、知りえないことを語り得ない、とする私の科学の領域設定にも合致いたします。

しかし問題はその次でして、著者はさらに進んで、「完全性」というものを次のように定義します。

そこで、より一般的に「物理法則が完全である」ということの条件を、次のように定義します。

完全性の必要条件・・・完全な物理理論は、実在のすべての要素に対応する表現(counterpart)をもたなければならない。すなわち、完全な物理理論であるための必要条件は、すべての実在の要素の値を、任意の時刻に、確率1で予測できることである。

これは少々無理な注文でしょう。そもそも、粒子が波動性を兼ね備える以上、不確定性理論の制約は受けざるを得ません。つまり、プランク定数が関係するような微小な領域においては、どのような物理法則も完全ではなくなってしまいます。

また、物理理論なら(古典的という範囲に限定して)これでも良いのかもしれませんが、化学の分野となりますと、決定論は成り立ちません。なにぶん、エントロピーという統計的な要素が関わってきますので、事態は確率的に進行している、といわざるを得ないでしょう。

このような統計的法則は、温度や圧力なども同じであって、真に決定論が成り立つ領域は、剛体の運動方程式などの、限られた領域しかないと思うのですね。

さらには、観測には誤差範囲、というものを考える必要があります。ニュートン力学は、確かに厳密に未来を予測していた、といえるのでしょうが、その理論は、一定の誤差をもつ測定によってのみ確認されていたわけで、無限の精度で理論が保証されていたわけではありません。否、充分に高い精度で測定が行われていたなら、とうの昔に、ニュートン力学は否定されていたでしょう。

さらには、このような制約の元で形成される物理法則にも、その適応限界というものがあるわけで、「確率1」などということを、そうそう気軽に規定できはしないはずです。

そうなりますと、まずは、人の知りえる限界をきちんと認識することから議論を始めなければいけないと思うのですね。で、問題は、量子力学が、人の知りえないことまでを知ることを要請していることであるように、私には思われる次第です。

まあ、このあたりは、この先、おいおいと議論していきたいと思っておりますが、、、