ドナルド・キーン著、金関寿夫訳「百代の過客/日記にみる日本人」を読む

本日は久しぶりに書物を読むことといたしましょう。取り出だしましたる書物は、ドナルド・キーン著、金関寿夫訳になります「百代の過客/日記にみる日本人」です。

1. セーラームーンとトムとジェリー

以前のこのブログで、米国のTVで立て続けに放映されておりましたアニメ、「トムとジェリー」と「セーラームーン」をみて、次のような感想を記したものです。

何しろトムとジェリー、ネコがネズミを追いかける、それだけのアニメなのですね。で、正義は賢いネズミにあり、バカなネコはとことんやっつけられる、という単純なストーリ。これ、ずいぶん昔に見たときから、全く変わらずに、延々と放映を続けているのですね。ネコのバカさ加減よりも、視聴者の頭の出来具合がとても心配になる状況です。

一方のセーラームーン、これは実に複雑な話です。友人間でも心理的な葛藤があり、それが状況を複雑にします。「あの人は、なんで心を開いてくれないのかしら」なんてセリフ、トムとジェリーの数十年の歴史の中で、まず、一度も語られたことはないでしょう。

人は幼児期の環境で、無意識のうちにもつ価値基準、考え方の基本的枠組みなどが決まってしまう、といわれています。このような時期に、トムとジェリーを見て育った人と、セーラームーンを見て育った人が、どれほど異なった人間になるのだろうか、と考えると、恐ろしいものがあります。

実際問題として、米国に古くから住む人達は、トムとジェリーを見て育ったのではないか、と思われるのですね。そもそも、米国の行動パターンがトムとジェリーである、と考えると非常にわかり易い。それも、ジェリーではなく、トムの役割を米国が果たしているのですね。

2. 内省的日本文化

この二つのものの見方、実は日本文化の特殊性にあるのではないか、ということに「百代の過客」を読んで気が付いたのですね。これを気づかせてくれました部分を同書18ページから以下に引用いたしましょう。

数年前のことだが、私はコロンビア大学で博士論文の審査に加わったことがある。私が扱った論文は二つで、一つは日本文学「夜半(よわ)の寝覚(ねざめ)」の一部訳と論考、他は明朝後期に出た中国の小説何篇かの論考であった。他にこれ以上著しい対照を考えることが、一体誰に出来たであろうか。『夜半の目覚』は、行動というものを全くと言ってよいほど含まず、女主人公の寝覚の思いの形を借りて、ほとんど全面的に心の内側から語られている。それに反して中国の小説のほうは、登場人物の内面には決して踏み込まずに、時にはわくわくするような、時には悲劇的な事件を、徹底して外面的に描き出している。しかもこれらは、なにも例外的な作品ではないのである。平安期以来、最も典型的な日本文学は、常に内省的であった。ここでいささか大ざっぱな分類を試みるなら、日本の小説は自伝的になりがちだが、中国の小説は伝記的なのである。事実明朝以前の中国には、自伝というものが存在していない。ところが日本では、平安朝の宮廷女性の日記文学以来、日記と自伝とは、ずっと一体のものとなっている。

これは、トムとジェリーとセーラームーンの違いにも言えるのですね。もちろんセーラームーンには様々な事件が描かれており、そういう意味では伝記的側面も多々あるのですが、「あの人は、なんで心を開いてくれないのかしら」などというセリフはまさに登場人物の心の内を扱うもので、これが日本文化の一つの伝統であったようであるということを、上のドナルド・キーンの指摘は教えてくれます。

3. 捨子に秋の風いかに

さて、肝心の部分は以上なのですが、同書には興味深い記述が多々あります。「野ざらしを心に風のしむ身哉」で有名な芭蕉の「野ざらし紀行」について論考を加える以下の部分は、特に興味をひかれます。

この旅での最初の出来事は、富士川で起こっている。

富士川のほとりを行に、三つ計(ばかり)なる捨子の哀れに泣有(なくあり)。この川の早瀬にかけて(投げ込んで)、(自分たちだけで)浮世の波をしのぐにたへず、露計の命待(まつ)まと捨置けむ。小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしをれんと、袂より喰物なげてとほるに、

そして俳句、

猿を聞人(きくひと)捨子に秋の風いかに

が続いている。中国の詩人にとっては、猿の鳴き声を聞いた時、哀切の情を表現するのが常套であった。芭蕉はこの句で、そのような悲しみなど、親に捨てられた子を目にして感じる哀切とは比べものにもならぬ、と言いたかったのである。現代の読者なら、みなこれに同感するであろう。

そして、キーンは、ならばなぜその子を救ってやらなかったのか、との疑問を呈するのですが、それも止むを得ないことなのだろう、と自らの経験を以下のように語るのでした。

終戦の直後、一九四五年の秋のことである。私はたまたま、中国は山東省斉南(さいなん)にいた。ある中国の将校と昼食をともにするべく、私は彼と連れ立って歩いていた。その時道端に、十二くらいの少年が横たわっているのに気がついた。不思議とは思ったが、私はなにも言わなかった。昼食後、私たちはまた同じところを通った。少年はまだそこに寝ていた。見ると今度は、彼の顔には、蠅が一杯たかっているではないか。「死んでいる!」と、私は恐怖の叫びをあげた。「そうですね」と、将校はこともなげにそう答えた。もしこのような光景を、この中国の将校と同じくらい頻繁に見たならば、私といえども、子供の「野ざらし」にも、もっと慣れてくるだろうか?

芭蕉の態度にショックを受けること自体、私たちが、彼を三世紀前の異邦人として考えず、私たちの心にもっと近く、肝胆共に照らし合いたい人物と考えていることの証拠なのである。

この文章から、いくつもの思いが沸き起こります。以前、中国残留孤児の悲惨な話を見聞きしたのですが、上の話を読めば、この時代を生き延びた彼らも幸運な方であった、ということが一つ。もう一つは、中国の詩人にとって、猿の鳴き声は文学的材料となるのだが、子供の泣き声など、それが野ざらし寸前であったところで、ありふれた存在であり、取り立てて芸術の素材になどならなかったのではないか、という思いにもかられます。

世界には、我々の思いも及ばない悲劇がまだまだある、ということなのですね。(2017.6.14追記:本件に関してはこちらでも議論しております。)

4. 百代の過客

さて、「百代の過客」でドナルド・キーン氏は、日本の数多くの日記を紹介しているのですが、芭蕉の奥の細道でキーン節は頂点に達します。なにぶん「百代の過客」という同書のタイトルが「奥の細道」の冒頭からとられたものなのですね。

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人也

奥の細道に関するキーン氏の評論は、省略いたします。ただ、以下の部分だけはご紹介しないわけにもいきますまい。

『奥の細道』には、実に美しい章句があまりにも多すぎ、どれが一番気に入りかを、読者は容易に決めかねるのである。名高い冒頭の一節は、誰にとっても忘れえない文章である。松島や象潟の章も同じであろう。だがこの日記では、ただ一つの文章さえ、いつまでも脳裏に残るのはもとより、時とともに頭の中で膨れ上がり、やがて一篇のエピソードへと発展してゆくのである。芭蕉の他にこれができる唯一の詩人は、おそらくダンテであろう。彼は他の作家ならば、取り扱うのに一篇の小説ないし戯曲でもってするような忘れがたい人物―たとえばパオロとフランチェスカ―をほんの数行で描き尽している

まあ、これは持ち上げすぎのような感の無きにしも非ずなのですが、ドナルド・キーン氏の偽らざる気持ちではあったのでしょう。

なかなかに心地よい文章ではあります。

5. 百代の過客を英訳すると

奥の細道の英訳(Dorothy Britton訳)“A Haiku Joruney/Basho's Narrow Road to a Far Province”が、講談社インターナショナルから出ております。新品はかなり高価です。ドナルドキーン訳があればちょっと読みたい気もしたのですが、、、

このドロシー・ブリットンさんは黒柳徹子さんの書(“Totto-chan, the Little Girl at the Window”)も訳されておられます。で、奥の細道本文の最初の部分の英訳は次のようになっております。

The passing days and months are eternal travellers in time. The years that come and go are travellers too.

この英訳もなかなか味わいのある文章ですね。


11/15追記:この英訳、私なりにちょっと試みてみますね。

Days and months are eternal travelers, and passing years are the same.

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