東洋思想と初音ミクの楽曲:白い雪のプリンセスは

これ、結構、昔から出ていたのですね。全然気づきませんでした。

と、いうわけで、簡単にリンクをご紹介いたします。

ここにまとめがあります

多分これがオリジナル。面白くも何ともありません。

一応絵がつきました

おなじみのやつ

黒い衣装です ちょっとアニメの品質が悪いような、、、(ドナルドキーン的には、これがベストということになりそうな)

透けミク、だそうです。別に透けていたからどおってこともないのですが、、、

一応、ボリュームには注意をお願いします。

まあ、よい曲ですから、じっくりと鑑賞いたしましょう。


12/1追記:結構面白い話ですから、ここに追記いたします。

この歌詞、ちょっと追いかけてみたのですが、これ、抒情的表現ですね。つまり、白雪姫が自分自身の気持ちを語る形をとっております。

つまり、この歌詞は、白雪姫の物語と眠れる森の美女(=スリーピングビューティー)を下地にしているのですが、これら既存の物語が起こった事態を外部から客観的に語る叙事的な表現であるのに対して、この歌詞は、白雪姫の心の内面を描写しているのですね(白雪姫と眠れる森の美女は違う話なのですが、歌詞はこれを混同しているように思えます)。

(12/11追記:これは、混同ではなく、二つの話が含まれている、ということのようですね。

つまり、前半は白雪姫の話で、後半は眠れる美女の話なのですね。だから、「毒リンゴを食した少女のように」と、白雪姫を第三者的に語っている。つまり、これを語る主体は眠れる森の美女、というわけです。

なんとも奥の深い歌詞ではありました。)

(12/17追記:歌詞を分析いたしました。結局のところ、間奏の前は白雪姫、間奏の後は眠れる森の美女なのですね。

最初のところで、「いつかのおとぎ話、時が止まる」といった後は、おとぎ話の内容であり、「Kissで目を覚ま」すのはおとぎ話の内容を語っているのであって、白雪姫の話とは関係ないのですが、本人の気持ちは、眠れる森の美女というおとぎ話がわが身に実現してほしいと願うわけですね。

「もうすぐでいなくなるのかな」とはすごいセリフですけど、これで白雪姫の抒情的物語は終わり、間奏が始まります。

そして「途切れてく命の音/毒リンゴを食した少女のように」ですから、こちらはもはや白雪姫ではない。つまりは、スリーピング・ビューティーのお話に移行しているのですね。

まあ、「消えてしまう、その前に」これはだいじですよ。

結局のところ、このお話は、美女と王子様が結婚してハッピーエンドになるのですが、生物学的な現実は無視できず、王子様が来るのが遅れると、美女の命は失われてしまう。これは致し方ありません。

これは、抒情的表現においては重要な部分なのだが、叙事的表現においては、森の美女の気持ちなどどうでもよい。この辺が面白いところかもしれませんね。)

以前このブログ「ドナルド・キーン著、金関寿夫訳『百代の過客/日記にみる日本人』を読む」でご紹介したのですが、日本文学の特徴として際立った抒情性があげられるといいうことをキーン氏は指摘しておられました。

私は、この指摘はその通りだろうけど、そうであることは我が国の文学の欠点ではなく、むしろこうした考え方が世界を良い方向に導くのではないかと考えていたのですね。

だから、セーラームーンのアニメが米国で放映されることにもそれなりの価値を認めていたのですが、この歌の歌詞にも、そのような要素がありますね。この歌、英訳して海外に広めたら、それなりのインパクトを世界に与えられるのではないでしょうか。

だいたい、登場人物の気持ちに寄り添うことこそ、政治的な正しさであったはず。そうであるなら、この日本式の表現をもっと重視しなくてはいけません。つまり、最近はやりのMeTooにしても、当人の心の内を大事にしよう、ということですよね。


12/2:追加、改題:ドナルド・キーンの場合は、文学者ですから、抒情的と叙事的という表現のあり方で分類をするのですが、これに似た区分をフッサールがおこなっています

フッサールは、「科学者の心とは独立した自然科学」に対応するものとして、「自然現象とは独立した心理学」を打ち立てることを考え、外的なものを捨象し内省に基づく哲学を「現象学」として確立していきます。

以前のエントリーで、ハイデガーの事実存在重視という考え方が、プラトン・アリストテレスに始まる西洋哲学とは異なり、東洋的思想なり禅の思想に近いということをご紹介いたしました。

ハイデガーはフッサールの弟子で、もともと現象学の人であり、その思想が抒情性に立脚する日本文学のあり方と一脈を通じているのは、興味深いことです。

白い雪のプリンセスから、そんなところまで話が広がるというのも、愉快な話じゃないですか?


12/14追記:この歌詞で、少々おかしいのが「薄れゆく意思の中で」というところなのですね。ふつうは薄れゆくのは「意識」のはずなのですね。

でも、抒情的表現に徹する場合、果たして「意識が薄れた」などという表現をしてもよいかどうかは難しいところです。眼前の第三者の意識が薄れるのを観察する、叙事的表現としてなら問題はないのですが。

つまり、意識が薄れつつある人が、意識が薄れつつあることを自覚できるものだろうか、という疑問があるのですね。だからここは、「意思」でもよいのかもしれません。

でも「薄れゆく意思」をネット検索すると、引っかかるのはこの歌の歌詞だけ。そうではないのが一件ありましたが、「薄れゆく意思決定自由の価値」ですから「薄れゆく」は「価値」に掛かっており「薄れゆく意思」ではないのですね。

「薄れゆく意識」ならたくさんあるのですが、、、

(「-プリンセス」とか「-夢」とかやりますと、確かに「薄れゆく意思」もヒットしますが、どうもパッとした文章ではありません。この歌詞からこの表現に至っているような感じも受ける次第です。)

それからもう一つの普通ではない表現が「深い愛の二乗」でして、ここは「事情」とするのが普通であるような気がいたします。

でも、この歌を英訳することを考えると、ここは二乗(スクエア)でもよいのかもしれない。

「事情」という単語はたとえば「西洋事情」などという福沢諭吉の書物がありますが、これに似た海外の雑誌で「フォーリン・アフェアーズ」というのがあるのですね。これ、日本語に訳せば「海外事情」ということになります。

で、「愛の事情」であれば「ラブ・アフェアーズ」と訳したくなりますが、この英語の意味は「情事」と受け取られてしまいます。これはちょっとまずい。

ここは、「ラブ・スクエア」というイミフな翻訳にした方が、格好が良いかもしれません。そのために、あえてここを「事情」ではなく「二乗」としているのであれば、これは相当に深い考えのもとに作られた歌詞ということになります。

ラブ・スクエア、ありますね。BLもののコミックとか、海外ものとか、、、

ラブ・トライアングルが三角関係ですので、それをさらにややこしくした四角関係がラブ・スクエアということになるのでしょう。

Googleに翻訳させると、「愛の広場」などというロマンチックな日本語になるのですけどね。


コンテンツの追加です。2015年のニコニコ超パーティーがアップロードされていますね。

2017年はすでに消去されていますから、鑑賞するならお早めに。

2016年の超パーティー、これが10周年だったのでしょうか?

そうなりますと、2017年も期待が持てますね。

さらには2018年は、、、

[30fps Full風] Melody... - Hatsune Miku 初音ミク Project DIVA ドリーミーシアター English lyrics romaji subtitlesって、、、

恐ろしくスケールの大きな話ですね。なんか、大気圏を脱出しているみたいなんですけど、、、

Promise プロミス-Kagamine Rin Hatsune Miku 初音ミク 鏡音リン DIVA ドリーミーシアター Dreamy theater Englishなんてのもアップロードされていますね。クリスマス用かな?

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