虚数時間の物理学:ローレンツ変換とミンコフスキー空間”に関する2件のコメント

  1. こんばんは
    記事を読んで頭の中のモヤモヤ【各種計算の全体的なイメージが掴めない】
    が少し解消した気持ちになりました。ありがとうございます。

    負数や虚数などの歴史的(現在も)な問題点の原因は、数や計算というものが
    生成過程の全体ではなく部分しか表現されていない為であると思うのです。
    例えの整合性がいまいちだと思いますが、地(全)動説が全体で天動説は
    地を固定した、全動説の部分だったように・・・。
    部分でも明確な矛盾が無ければ自然法則を記述する事はできると思います。
    しかし、全体的視点に立つとモヤモヤが発生するような気がします。

    数や計算が生成された時代は脳の中については殆ど解っていないと思います。
    しかし現在は、人が何かを考えると脳内の状態が変化するという事が画像として捉えられています。
    また、数は人によって抽象されたものであるという認識が普及しています。
    以上より、数や計算を脳内の変化として考査してみます。

    「     」以後この「」内の状態を、数等を考えていない状態とします。
    「●    」●←人が何らかの対象に対して1と対応付けした状態とします。
    「●●   」別の同類の対象に対して1と対応付けした状態とします。
    「(●●)   」その全体を1に対応付けたものを、2と対応付けます。
    ここで、2-1=1という古来からの演算を考えてみます。
    α「●●  」-「●   」=β「●   」となります。
    α「●●  」2から1を引くと
    β「●   」1になるという自明な結果が表現されています。
    しかし、その過程を眺めてみると、確かに●は一つ無くなっていますが、
    ●に相当する「   」内の白い部分は増加(演算では+と表現)しています。
    しかし、2-1=1 にはその状況の説明は存在していないと思うのです。
    また、a<b のとき a から b は引けないと数学では説明していますが、
    「    」という前提が存在しなければ1だって足せない筈です。
    現在の数や演算には以上についての表現が欠けていると思います。
    虚数というのは「  」の白い世界での掛け算のような気がします。

    数学の専門家であれば、全体的な状況というものを把握しているからいいのですが、多くの高卒者にとって、現在の数学教育というものは、自然の真理的存在から派生した心という存在に、人の我儘を押し付けているとしか思えません。

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