google booksの文献は、左側の「この書籍について」をクリックすると、著者や出版年をみることができます。方法序説のラテン語版は、René Descartes, Etienne de Courcelles, Louis Elzevir, Apud Ludovicum & Danielem Elzeviriosと5者連名になっており、二番目がクルセルとなっております。メルセンヌの名前はこの中にはありません。以前のWikipediaは、方法序説のラテン語訳者をメルセンヌとしておりましたが、これはおそらくは誤りであり、コギトに主語を含めたことと合わせて、私が修正しておきました。
yoder_tko
こんにちは!
「コギト」に関して興味深く読ませて頂きました。
後半(カント)については難しくてコメントできませんが、前半のデカルトについては面白く読ませて頂きました。そこで、2,3コメントさせて頂きたいと思います。
その昔旧制高校には“デカンショ節”という唄があり、これはデカルト、カント、ショーペンハウエルの3人を指したとのこと。どこかに繋がりがあると思われます。
ところで私はデカルトや哲学の専門家ではなく、科学史に興味を持っていて、最近ガリレオについて多少調べたことがあります。この関係でガリレオに関する本を読んだ中で、デカルトとの関係のある部分が存在しておりました。
また、科学史の文献を読む際にフランス語やラテン語の壁にぶち当たり、その点でも丁度これから何か手を打たねばならないと思っていたところです。それでラテン語とは何なのかどう勉強するのかなど、本(逸身喜一郎『ラテン語のはなし』2000年大修館書店)を取り寄せて、最近入手したばかりです。
このような事情なので、哲学や語学の専門家でもなく当然正確性にも欠けますが、一応気になった点を述べて見たいと思います。
まず、日本で「コギト」が取り上げられ、流行っているのにはその訳や前提のことがあると思います。
一つには、ガリレオとの関係でよく言われていることですが、デカルトは『世界論』を書きます。ところがガリレオが宗教裁判にかけられ有罪となります。この事情のせいで『世界論』の刊行は断念されます(岩波文庫谷川訳「方法序説」、解説)。
断念した理由が「方法序説」の第6部に書かれており、第5部には『世界論』の「エッセンスが素描」され、「宇宙観と人間観も、大きな危険を孕んでいた」とのことです。
「コギト」はこの方法序説の第4部に書かれております。当然デカルトの人間観がカトリックの思想との強い軋轢関係にあること、そしてその理由を探る時「コギト」は(取り上げる)必須のキーワードとなってくることは間違いないと思います。
この「方法序説」(や「方法序説」の展開部分(幾何学や光学等について書いたものを含め)は書いた当時書物として公開されず、死後公刊され著作として公開されたとのことなどから、上記の『世界論』と内容的に通じているのは間違いありません。
二つ目は、「コギト」という言葉がラテン語であるということにあると思います。デカルトは「哲学」の学者であり、中世の学者が本を書き公刊し、公開する際にはラテン語を使用します。
「哲学」とは何やら難しいことを考え表現したことを本に書きます。デカルトの著作と今は死語になっているラテン語とが結びついた時、日本人は魔法にかかったようになると思われます。
もちろんデカルトの「方法序説」は、学者として本はラテン語で書き、国を超えて著作を共有しなくてはならなかったのに、最初デカルトはこの本をフランス語で書きました。
そして「コギト」というラテン語は本の中ではどういう文脈で書いたかのかということに興味を持たされます。
デカルトの「方法序説」は、複数人の神父によりラテン語に訳され、デカルト自ら校閲したとのことです(岩波文庫旧版落合訳「方法序説」、解題)。
訳者もフランス語版で意味が取りにくかった箇所はこのラテン語版を参照したと言うことなので、フランス語版とラテン語版の2つでデカルトの思想をよく捉えることが出来るとみてよいでしょう。(ラテン語は論理を展開することに適した言語とのことです。恐らく主語や目的語などが明確に判断できるためと思われます。)
日本では「われ考える故に、われあり(コギト・エルゴ・スム)」が一般化しているので、「コギト」はラテン語で書かれていると考えがちです。
実際には「方法序説」はフランス語で書かれています。そしてここに相当する箇所はフランス語なのかラテン語なのか、興味があります。
日本語ではどうなのかというと、新版と旧版の岩波文庫では{ }あるいは「 」で括られています。明らかに他の部分と字体が異なることが分かります。ひょっとしてフランス語に混じり、この部分だけはラテン語で書かれているかもしれません。
その箇所は(近年グーグルで原文を見ることは可能です)フランス語のイタリック体で書かれています。ラテン語で cogito, ergo sum. に相当する箇所は ie pense , donc ie suis となっています。(i → j)
同じく「方法序説」のラテン語訳の本も原文を見ることは可能です。ラテン語訳の「方法序説」では、ego cogito, ergo sum と書かれております。
まさに、ラテン語とフランス語の「方法序説」とは、相互の単語を1対1に対応させております。
もちろん原文も後世の人が辻褄に合うように訂正して編集して出版したかもしれません。ですから必ずしもデカルトが書いた本とは言えない点があり、非常に心配です。しかも日本語訳の「方法序説」の原文として掲げた本にある出版した年と私が参照した本の出版年とは明らかに異なっていました。
以上のように、「コギト」の前提について簡単にまとめました。
この前提に立って、残りの興味のある点は、①「コギト・エルゴ・スム」の変更②だれがデカルトのこの言葉を「コギト・エルゴ・スム」(デカルトが言ったのは正確には「エゴ・コギト・エルゴ・スム」と書いた)と紹介したのか、という2点が残っているのではないでしょうか。
岩波文庫の新旧版の訳者の訳を紹介する前に、逸身氏のラテン語からの解説を紹介したいと思います。この「コギト」のみならず各章の冒頭には馴染みのあるラテン語の成句が掲げられその次には簡単な解説が書いてあり、解説だけを読んでも読みごたえがあります。
成句は西欧では常識的な文言かもしれませんが日本人には注釈や解説がなくてはさっぱり分からず、これが西欧流の表現やものの見方なのかと感心する点でもあります。
「コギト」に関してもそう言った種類のものなのでしょう。逸身氏は哲学の領域にも踏み込んでいます。西欧の論理を問う成句なのだということが分かります。問いと答えとの訓練を、ギリシャ・ローマ時代の例(成句)の中にはよく含まれているので、これらの成句で行ったと考えられます。
逸身氏の解釈は vivo, ergo cogito 「私は生きている、ゆえに私は考える」「哲学者は勝手」ということを言っております。成句は恐らく哲学の根本問題の問いの発し方の一つの例かもしれません。どんな答え方であってもよいのだろうと言うことかもしれません。
岩波文庫の訳はその点懇切に訳しております。新版では「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在り〕]と注釈なしで書き下しております。
旧版文庫では「私は考える、それ故に私は有る」としています。そして8ページにも渡り訳注を記しております。その中でフランス語のラテン訳として ego cogito, ergo sum, sive existo と紹介しています。
いずれも哲学的著作はすでに個人が亡くなった後には、解釈する人の目の付けどころに従い種々の解釈が可能であることを示していると思われます。
「コギト」は「方法序説」の第4部に書かれているのですが、デカルトは他にもラテン語の著作が多くあります。そこではどのように表現されているか、同様に探ってみました。
原文を検索し調べたのは、「省察」(1649年)と「哲学原理」(1672年)の2つです。
「省察」p44にはイタリック体で前後と字体を変えて、ego cogito : itaque existo
とあります。
また Sum cogito: Sum dum cogito
(p94)と表現している箇所もあります。その他 cogito で検索すると、多くの場所で使用しております。
また「哲学原理」p2とp3に同じくイタリック体で ego cogito, ergo sum
とあります。
cogito という単語はデカルトの著作(「省察」)の中によく出てきます。それは彼にとってこの cogito がキーワードとなっていることの左証ではないでしょうか?「方法序説」と「哲学原理」ではそれぞれ2箇所出てきただけです。ただ字体をわざわざイタリック体に変えているので、その語句を強調しているのだと思います。
したがってデカルトの哲学を特徴は、例えば一言で表現せよというと、やはりこの「コギト」にあるのではないでしょうか?
デカルトは彼自身危惧していたのは、著作物がキリスト教の哲学(教義)に反すると見なされ恐れがあったということです。その理由はこの「コギト」にあるのではないか、と推測されます。
彼自身もそのことに気づいていたのはないでしょうか。当時の教義では、人の存在やその存在理由あるいは存在価値は「神」から与えられた物であると考えていたからでしょう。
それを彼の言葉を借りると、自分があるのは(「神」が作ったからではなく)私が考えているからだ、と言いたかったのかもしれません。
この人間の存在理由が「神」ではなく、そもそもが自分にある、人間にあるのではないかと考えるようになったということは、当時では“コペルニクス的転回”であるに違いありません。
このことを最初に言い出したのはデカルトであり、彼をして「哲学」が初めて「人間」のものになったのだとも言えます。この神と人との関係を取り上げるようになったのはデカルトが出発点でもあります。
西洋の伝統の一つはキリスト教ですが、17世紀になると一方にガリレイがいて、一方にデカルトがいるというそのような伝統が出てきたことに、注目することが出来ます。
そう解釈すればこの「コギト」も意味がとれるのではないでしょうか?
もちろん一方のガリレオの一言も日本では「それでも地球は動く」とすぐ出てきて、それはガリレオが言った言葉ねとすぐ出すことができます。
ところで、ブログを読んでいくと、次にはひょっとしてラテン語の4文字「エゴ・コギト・エルゴ・スム」を日本では「コギト・エルゴ・スム」と省略して紹介した人がいたのではないか、という疑問がわきます。
西欧では「コギト・エルゴ・スム」は成句の一つであり、ラテン語を教養として学んでいるので、この成句が実は「エゴ・コギト・エルゴ・スム」であることは、すでに常識となっているのではないでしょうか?
日本語では訳は“われ思う故にわれあり”であり、原文に戻り忠実に「エゴ」を訳してくれています。エゴを「われ」と訳しているので、正確に訳していて実は名訳となっています。
これを主語を省略して「コギト・エルゴ・スム」のまま、「思う故にわれあり」とすると、どこか間が抜けて、何なのと質問したい気持ちになります。
逸身先生は、この質問したい気持ちや哲学するこころを本の中で、 sum ( I am ) に表現していると詳しく書いて解説してくれています。
では「コギト」の4文字「エゴ・コギト・エルゴ・スム」を、3文字の「エル・コギト・スム」に省略したのは誰だったのか、文庫の「方法序説」(新旧版)を読んでもそんなことは書かれていません。原文をみても書物の中にはきちんと ego cogito, argo sum と書かれています。
旧版の「方法序説」には解題にデカルトとメルセンヌ神父との手紙のやり取りの記述があります。手紙の中には簡単に cogito, argo sum と省略した可能性もあります。
結論から言うと、どうも西欧でも4文字の「コギト」に代わり cogito, ergo sum という形で一般化しているようです。( https://la.wikipedia.org/wiki/Cogito_ergo_sum )
なお Wiki の「コギト・エルゴ・スム」には「 cogito 」へのリンクがあり、そこにはロダンの「“考える”人」の写真が掲げられて、「コギト」自身も西欧では哲学の基本的タームであることが分かります。
ここでもだれが短縮したか明確に書いてありません。Webではスピノザの
“ Renati Descartes Principia philosophiae, more geometrico demonstrate “ ( 日本語訳『デカルトの哲学原理―附 形而上学的思想 』)が参照されているので、きっとスピノザが3文字に短縮して考えたのでしょう。
なお、このスピノザ、デカルトの「哲学原理」を正面から取り上げ論評していることがこの書名から分かります。しかもスピノザ自身がユダヤ教徒から出発してある種の無神論を唱えたので、西欧の伝統でも「神」と「人間」との格闘を「コギト」する時、スピノザは外せない人であることは確かです。
デカルトの成句はすでに成句として成立しているので、日本でも「エルゴ・コギト・スム」はデカルトの哲学のエッセンスとして、ここの「コギト」の短縮形が頭からあるとしてよいのではないでしょうか?そうすると「コギト」が単にデカルトだけの言葉ではなくて、スピノザやカント等々に繋がる広い西欧流の思考の一端がこの言葉(成句)の背景にあることが気づかされることになるのではないでしょうか?
yuzo_seo
Post authoryoder_tkoさん、コメントありがとうございます。以下、繰り返しになりますが、コギトに関して、簡単にまとめておきます。
ラテン語版のデカルトの書物で、ego cogito ergo sumという言葉が書かれたのは、デカルト自身がラテン語で書いた哲学原理と、デカルトがフランス語で書いたものをクルセルがラテン語に翻訳した方法叙説の二つです。
方法叙説は、クルセル訳ですが、デカルトの監修下に翻訳したといわれており、主語がついているのはデカルト自身の考えによる可能性が高いでしょう。(哲学原理に主語がついていますので、いずれにせよcogitoに主語を付けることがデカルトの考えであることは明らかなのですが。)
この言葉が、主語を伴わない「コギト・エルゴ・スム」として一般に語られている理由は、ラテン語は一人称の場合に主語を省略することが一般的であるためと、私は考えております。また、デカルト以外の人が書いた書物や格言集にこの言葉が主語を落とした形で引用されたことが、主語なしの形で広く伝わるようになった原因と思われます。
実は、ラテン語は、一人称の場合に主語を落とすことが一般的なのですが、主語を強調する場合には、主語をあえて記述するとされております。デカルト自身の書物が、主語を記述していることは、デカルト自身に主語を強調する意図があったと考えてよいでしょう。
ブログにも書きましたように、今日の論理学では、「われ思う」という命題の中には「われあり」を含むとしております。デカルトの時代にはこのような常識は存在しておらず、これを明示するために、主語を強調する形の記述としたのではないでしょうか。
「元カレと喧嘩した」という言葉から「元カレあり」を知ることは、当時でも普通に行われていたでしょうが。
「われ思う」にすでに「われあり」が含まれておりますので、「われ思う、ゆえにわれあり」は「われあり、ゆえにわれあり」と同等であり、この論理はトートロジーに他なりません。
もう一つ重要な点は、デカルトが同時代の哲学者と草稿を交わしながら書き上げた「省察」が、「ego sum, ego existo(我あり、我存在す)」であることです。コギト命題が一般人向けにフランス語で書いた叙説とエリザベート皇女に捧げられた哲学原理にのみ記されたという事実は、この言葉が哲学の本質にかかわる重要な命題なのではなく、哲学を専門としない一般の人々に向けた言葉として提示されたことを物語っております。
さすがのデカルトも、トートロジーを専門書に記すことは、憚られたのでしょう。
これをトートロジーとしておりますことは、私のブログでも読んでおります三浦俊彦著「論理学入門」などの論理学の入門書を読めばご理解いただけると思いますし(命題は意味のあるものでなければならない=主語とされたものが存在しない場合、その命題は真とは言えない、ということですね)、先の私のブログに追記いたしましたように、カントもそのように解釈しており、まずこの考え方が正しいであろうとかなりの自信をもって言えると考えております。
以下、参考までに、原典のURLを掲げておきます。このURLで該当ページが出てくるはずです。
哲学原理:http://echo.mpiwg-berlin.mpg.de/ECHOdocuView?url=/mpiwg/online/permanent/archimedes_repository/large/desca_princ_081_la_1644/index.meta&start=21&pn=26&mode=texttool&viewMode=images
方法序説:https://books.google.co.jp/books?id=nEM7AQAAMAAJ&pg=PA2&dq=Renati+Des+Cartes+Specimina+philosophiae+seu+Dissertatio+de+methodo:+Rect%C3%A8&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=cogito&f=false
(10/5追記:省察:https://books.google.co.jp/books?id=rT146e7J-fMC&pg=PA11&dq=%22des+cartes%22+meditatio+%22ego+sum%22&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=%22ego%20sum%22&f=false
google booksの文献は、左側の「この書籍について」をクリックすると、著者や出版年をみることができます。方法序説のラテン語版は、René Descartes, Etienne de Courcelles, Louis Elzevir, Apud Ludovicum & Danielem Elzeviriosと5者連名になっており、二番目がクルセルとなっております。メルセンヌの名前はこの中にはありません。以前のWikipediaは、方法序説のラテン語訳者をメルセンヌとしておりましたが、これはおそらくは誤りであり、コギトに主語を含めたことと合わせて、私が修正しておきました。
コギトの主語を落とした者が誰かという問題ですが、Wikipediaではマルブランシュが「真理の探究」で落としたとしております。しかしながら、ラテン語の格言は、ヨーロッパの教養人がよく引用し、そのための格言集などもあったはずで、ここに主語を落とした形で掲載されると、後世の人々はみな主語を落とした形で引用することになってしまいます。
ラテン語の格言につきましては、たとえばネギま1期のサブタイトルに出ております。中でも傑作は、第一回の“Asinus in cathedra”、「教壇にロバ」、今日でも通用しそうな格言ではあります。)